七転び八起き

ハロプロと観劇と、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活のこと。

性指向と性指向アイデンティティ

最近の関心事。

最近こんな本を読んでいます。

セクシュアル・マイノリティへの心理的支援―同性愛、性同一性障害を理解する

セクシュアル・マイノリティへの心理的支援―同性愛、性同一性障害を理解する

  • 作者: 針間克己,平田俊明,石丸径一郎,葛西真記子,古谷野淳子,柘植道子,林直樹,松?由佳
  • 出版社/メーカー: 岩崎学術出版社
  • 発売日: 2014/08/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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LGBTsって、メンタルの病気になってしまったり、恋人に過度に依存しちゃう人が多いよなーと思って読み始めました。(そして読み終わる前に図書館の返却期限が来たので近いうちに購入します。)

その中で、直接この本の主題には関係しないのですが、「LGBTsとは」という定義を改めて確認する章で、「性的指向」(誰を好きになるか)と一般に言われているものは、「性指向」と「性指向アイデンティティ」のふたつに分けられるということを知りました。

 

性指向と性指向アイデンティティとは

2009年の米国心理学会の大会において発表された報告書で提唱された概念らしいのですが、簡単に言うと、「性指向」は恋愛感情や性的な欲望の話で、「性指向アイデンティティ」は自分がそれをどう受け止めて、どう生きていきたいか、ということみたい。

一部抜粋・要約で、もうちょっと難しい言い方をするとこんな感じ。

性指向アイデンティティとは当事者が自らの性指向をどのように受け止め、どのように内在化するということである。

誰とセックスするか、どのコミュ二ティに所属感を抱くか、どのようなライフスタイルを選択するかなどが当てはまる。

性指向とは相手の性別や性的特徴に基づいて、個人が他者に対して抱く性的かつ情緒的な興奮・欲求のパターン。恋愛感情を伴う。意識的な選択を超え、恋に落ちると表現されるような深い情動体験や愛着を伴う。

 

自分に当てはめると…

自分にこの概念を当てはめてみると、

  • 性指向 = バイセクシュアル
  • 性指向アイデンティティ = レズビアン

ってことだな!と思いました。ちょっとスッキリ!

過去に好きになった人や俳優さんに対する感情を思い返してみても、男も女もわりと平等に好きになるんですよね。性自認がXな方に恋したことはまだないけれど。男、女については、そんな感じ。男女それぞれに好みのタイプってものもあるし。

でも、今の恋人とはずっと付き合っていきたいし、この先万が一、今の恋人と別れたとしても女の子との出会いを求めると思う。それは、女の子と付き合うってことを、敢えて選択している。男性と付き合って、結婚して、みたいなライフスタイルに惹かれない。そして、過去のわたしの女の子と付き合ってきた歴史が「なかったもの」みたいに見えてしまうことにも耐えられない。(バイは男と付き合ってればノンケと見られてしまう。どうしても。)

ずっとね、このことにはモヤモヤしていたんです。だってさ、女の子同士の出会いイベントに行くと「バイはないわー」とか言ってる人が結構いるんですよ。こうやってブログ書いたりして発信する上でも、プライベートでカミングアウトする上でも、「ビアンです」っていうほうがわかりやすいし。バイっていうと、絶対、それはいつか男性と「ふつうに」結婚する可能性もあるんでしょ?って絶対思われる。

でも、ビアンだって名乗るのも、それはわたしの真実ではないから、モヤモヤする。

そんな気持ちを、性指向とアイデンティティを分ける、っていう考え方が「そういうあり方そのままでいいじゃん」「場によってバイとかビアンとか好きに名乗ったっていいじゃん。だってどっちもあなたの要素だもん」って許してくれたような気がしました。

 

概念は万能じゃないけど役に立つ

「LGBT」という概念が全てのセクシャルマイノリティ・ジェンダーマイノリティを包括しないし、「セクシャルマイノリティ」って言葉を嫌と感じる人もいるように、概念って万能じゃない。性指向と性指向アイデンティティの考え方がしっくりこない人もいるかもしれない。

性も性的指向もグラデーション。型にはまらないひともいる。揺らぐこともある。

でも、こういう概念を知ることで、自分を定義できて安心できたり、自信を持って「わたしはこうだ!」って言えるようになることもあるから、知ることって大事だなって思いました。

 

ほんとうのわたし、とかいう戯言。

このところ、「こちら側」のわたし、つまり、「スイ」としてのわたしの方が、本来的な自分に近いような気になっている。

本名の「○○○○」としてのわたしは、偽りのわたし。そんな気がしてしまっている。

あるふたりの夫婦から生まれて、きょうだいがいて、地元では「○○さんちのできのいい長女」として知られている私と、いまのわたしが、どんどん乖離してゆく。2回目の転職をしたことも、同性の恋人がいることも、実家の家族は知らない。

アイドルや舞台が好きなことも、話したことはあるけど多分インプットされていない。ひとは自分の見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞く。

わたしも、敢えて実家でそういうことを話さない。なるべく親やきょうだいの話を聞くようにして、わたし自身は透明にしておく。

実家だけじゃなくて、職場でもそういうことが起きているし、たとえば美容院とか、そういう場所でも。

おとなになるってそういうことなのかもしれない。じぶんというものの、切れ端を、場所によって使い分けて、そつなく生きてゆくのが。でもおそらくあんまり器用じゃないので、自分自身が混乱してくる。頭ではどのわたしもわたし自身だとわかってるんだけど、感覚で、わからなくなってくる。今話してるわたしは、どの立場のわたしなのか?みたいな。

親だきょうだいだ親戚だと言っても結局は他人だし、わたしよりもずっと早く死んでしまう。だから、なにも言わなくたってさ、構わないはずなの。自分が傷つかずに生活を豊かにして、幸せにしている方が大切なはずで。赤の他人ならもっとそう、なはずで。

でも、そうは思っても、さみしいとか、いつだって自分自身でありたいとか、じぶんの話をしたいとか、思ってしまうのはなんでなんだろうね。もうなんか、距離感はかって話題選んで、場合分けして生きるの、疲れたなーとか、思わなくもない。

じゃあ逆にスイとしての自分を生きられたらいいのか?って言われるとそれはそれで、自分が本名の「○○○○」であると信じて疑わなかった頃に見た綺麗な風景とか、思い出とか、そういうものをなくしてしまうのもつらいし、本名の「○○○○」としてやってる仕事とか、人間関係とかで、誇れることももちろんあって。

どんな隠し事があったっていい、好きなものを守れるなら。そう思って生きてきたけどさ。それでぼんやりと苦しいってことは、次のフェーズが、じつはもう目の前に来ているのかも。

……なーんて、ただの混乱した戯言。

 

 

最近Juice=Juiceのるるちゃんが好きな理由

バースデーイベント落選

Juice=Juiceの段原瑠々ちゃんの、デビュー後初となるバースデーイベントの先行、落ちました。追加日程も出ていますが、平日昼間なので断念。

それにしても、デビュー後1年足らずの初バースデーイベントで、元々東京二公演の予定だったのに、名古屋も東京の追加日程も出るなんて、本当にすごい!まだまだ競争率低いのでは、と思っていましたが、見事に落ちて、みんなるるちゃんに注目しているんだなぁと思いました。

ハロプロの父、つんくさんも、るるちゃんに注目しているといいますからね…。

 

るるちゃんを好きになった理由

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Juice=Juice:プロフィール|ハロー!プロジェクト オフィシャルサイト

ところで、ここ一年くらいはモーニング娘。のあゆみちゃんにお熱なわたしが、なぜるるちゃんのバースデーイベントにいこうと思ったかというと、昨年のJuice=Juice武道館公演に行って、るるちゃんを好きになってしまったからなんです。

もともと、ハロプロのなかではモーニング娘。の次にカントリーガールズが好きだったのですが、ももち卒業直後にカントリーガールズメンバーの大半が他グループと兼任させられるというクソ人事がありまして。(5人でもやれる、って頑張ってたカンガがかわいそうすぎる。)そのカントリーガールズの梁川奈々美ちゃんがJuice兼任になって初の武道館だというので、勇姿を見届けに行ったのです。

それは、るるちゃんが加入して初のツアーで、初の武道館でもありました。

Juice=Juice LIVE AROUND 2017 FINAL at 日本武道館~Seven Squeeze!~ [Blu-ray]

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観に行く前の、るるちゃんのイメージは、ザ・スキルメン。歌もダンスも研修生時代から図抜けてたってイメージ。それとスタイルがいい。

でも、惹かれたのはそこじゃなかった。現場でのるるちゃんのかわいらしさ。あれは本当に忘れられません。

わたしたちはステージ真横の席で見ていたのですが、ライブ中にステージの真ん中から、脇のステージ、つまりわたしたちの目の前まで走ってきてファンサしてくれるんですけど、そのとき、ワクワクしきった興味津々な顔で、ひとりひとりヲタクの顔を見るんです。キラキラ笑顔で、手を振ってくれるんです。

デビュー前、るるちゃんは心ないヲタクからブスとかなんとか言われていましたが、そんな評価、意味がないって思いました。顔かたちの美しさに関係なく(わたしは可愛いと思ってるけど!)、るるちゃんの無垢で純粋な心、大舞台を心から楽しんでいる気持ちが、その表情に彩りを添えて何倍にも輝かせているんだもの!そのキラキラの笑顔が素敵すぎて、わたしはすっかりるるちゃんを好きになってしまったのでした。

 

最新曲

もともと、Juice=Juiceは最近曲がいいな〜、Fiesta!Fiesta!最高だな〜、ていうか去年と比べてゆかにゃとあーりーが歌うまくなりすぎ!などと思って見ていましたが、武道館でるるちゃんを好きになってから、より一層Juice=Juiceにはまっていきました。

とくに最近好きなのが、最新曲、SEXY SEXYでのるるちゃん。つんくさんの曲で、ちょっと気だるい感じの曲調が最高。PVもこれまでのJuiceちゃんとはちょっと違う感じ。もうね、るるちゃん、最高に足が長くて細くてスタイルがいい。だから脚出し衣装が超似合う。

そして、るるちゃんって普段は無垢であどけない16歳なのに、踊るとめっちゃえっちなの!表情が!まさにSEXY SEXY!!

Juiceちゃんって普段娘。ほどには踊らないグループだから、このPVだとまだあーダンスはそんなにかなーって正直思ったし、るるちゃんのダンスがあんまり写ってないのですが、ひなフェスの時の映像はとても良かった!えっちだった!みんなうまくなってた!手足が長くてぬるっと踊る、るるちゃん向けのダンス!腰をセクシーに回したり脚を見せつけたりするふりが多くて、るるちゃんのスタイルの良さを実感します。最高。

(ちなみに金澤朋子さんもお顔がとても好きなのですが、PVのかなともさん最高に美しいしえっちだしさすがセクシー担当という感じ。好き。やなみんも大人っぽくなって、お顔も美しくて可愛い。かりんちゃんも相変わらずのプロ味。)

 

これからも応援していきます

というわけで、これからも、娘。ではあゆみちゃんを応援しつつ、Juiceではるるちゃんを応援していきます。アイドルを、デビューした最初の頃から見ていくのって初めて。これまではまった子たちは、みんなキャリアをある程度重ねてから好きになってたから。ただでさえスキルのあるるるちゃんなので、推してて間違いなさそう感がハンパないです。これからどう成長していくのかとても楽しみ!

 

 

四月、心機一転。

気づけば四月も始まって数日。春はなにかと新しいことを始めたくなります。

と、いうことでツイッターとブログのアイコン画像とブログの紹介文を変えました。画像はブログの一番下のほう参照。

 

改めまして、スイです。ゆるいハロヲタで、観劇も好きで、キツネさんという同性の恋人がいます。読書と映画と仕事もわりと好きです。よろしくお願いします。

正確にいうと四月だから思い立って変えたというより、以前から考えていたことを表面化させたという感じ。キツネさんにお願いして、お絵描きしてもらいました。ちなみに背景の青はモーニング娘。の推し、あゆみちゃんのメンバーカラーにしてくれました。

 

アイコンを自画像にしたのは、インターネット上で無限に切り取られてゆくわたしの側面を、統合していきたい気持ちがあったことが理由です。

匿名性を捨てる気はないんですが、ぬるいハロヲタなわたしと仕事や勉強を頑張ってるわたしと、観劇好きなわたしと、パートナーとの生活を豊かにしていきたいわたしと、散る直前の桜が一番好きだなと思ってぼんやり眺めているわたしは、全部一緒だっていうことを意識していたい。

 

ブログもSNSのアカウントも分けた方が効率はいいし、見る方にも親切だと思うんですけどね。

テーマ特化型の好きだったブログが更新を止められたり、ブログを消されたりしていらっしゃるのを見ると、興味関心が変わっていくのは仕方ないことだけど、少し悲しいな、あなたのことをもっと知りたかった、と思ったりもします。

わたし自身はというと、最近、生活の比重が随分と変わってきていて、観劇が減ってモーニング娘。への熱が高まり、それ以上に資格試験の勉強と運動と日々の生活に時間をかけています。だから、そういう変化をしていくわたし自身として、言葉を紡いでいきたいと思ったんです。

 

とはいえ、アウトプットの癖はなかなか変わらないもので、観劇記録は書きやすく、ライブの感想は愛が高まりすぎて書かず、キツネさんとの生活はちょっと晒すのが恥ずかしくて、日記を面白く書くことには難しさを感じています。

朝30分の日記を習慣にし始めて、2週間はとりあえず続いているので、その中でまた文章のトレーニングを続けて、書きたいことや書けることを増やしていけるといいなと思います。

 

ちなみに、朝30分の日記を始めようと思ったのはスナックまなつというブロガーのまなつさんの出版お祝いイベントに行ったことがきっかけで、たくさん書いてたくさん読むことが上手く文章を書ける秘訣では、っていう言葉をまなつさんからいただいたからです。

ブログ毎日はハードル高くても、日記でもいいから文章を書くことをコツコツと毎日積み重ねたくて。そんな時に、昔読んだ本で、創造性を開花させるのには朝3ページの「モーニングページ」を書くのがよいと書いてあったことを思い出したのです。

手書きで3ページはきつい(わたしのペースだと多分1時間半くらいかかる)けど、30分ならできそう、と思って、朝キツネさんを送り出したあと、自分の出勤までの30分を使うことにしました。

新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。

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まなつさんからは、ブログでもお返事をいただいたので、参考にしつつ取り組んでいけたらな、と思ってます。まなつさん、ありがとうございます!

 

ホットサンドにハマっている

ホットサンドメーカーが我が家に来てから数ヶ月。

キツネさんに、クリスマスプレゼントにホットサンドメーカーを買ってもらったのです。

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可愛い色でしょ!雑貨屋さんで一目惚れしたの!(左上のやつはオマケの布ふせん。これも可愛い。)

それからというもの、平日の朝の8割くらいはホットサンド作ってます。

我が家では朝ごはんはわたしの担当で、夜ご飯はキツネさん担当なのですが、朝食べられない派のキツネさんがホットサンドならよく食べてくれるんですよね〜。わたしは朝ごはん担当だけれども朝強いわけじゃないので、これまでかなり手抜きの朝ごはんだったから食べてくれなかったのもあるかもしれないけど。(トースト一枚と豆乳で終わりとか。反省してる。)

 

ホットサンドメーカーの良さ

ホットサンドメーカーの良さは、70円〜100円のお安いパンでも美味しくなるところ!

トーストだと値段出してもパン屋さんの美味しいパンが食べたいと思う方なのですが、ホットサンドにするとどんなパンでも美味しく感じるから不思議。もちろん、大好きなパン屋さんのちょっと高くても食べたい食パンでホットサンド作るとさらに美味しくはなるんだけどさ!でも100円の食パンと300円の食パンでは値段が三倍も違いますからね…!節約中の身としてはとても助かります。

そして色々挟めるからタンパク質も野菜も取れること!たとえ気休め程度の量だとしても、バランスよく栄養を取りたいと思ってしまう。だから、朝ごはんが貧相だった頃はお昼ごはんで取り戻そうとしてお昼が豪華になり、また散財してしまったりしました…。

あと、ホットサンドだとなぜか量を食べられるのもいいところ。お昼前にお腹が空いてしまうことが減った気がします。

 

平日朝の定番ホットサンド

我が家の平日朝の定番ホットサンドはこんな感じ。

  • ハムチーズ+千切りキャベツor玉ねぎorレタス
  • ツナマヨ+玉ねぎ千切り
  • ゆで卵マヨ+玉ねぎ千切り

これに前日夜の残りのスープつけたり、果物やトマトつけたりしています。

飽きてきたら、ハムをソーセージに変えてみたり、パンにサルサソース塗ってみたりしています。納豆挟むのもやってみたいんですけど、愛しのホットサンドメーカーちゃんに納豆菌がついてしまわないかな…とか変なところが気になってやれていません。

 

お休みの日の豪華版ホットサンド

今日はお休みだったのでちょっと豪華版で作ってみました。

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中身は、

  • ハム+ゆで卵スライス+チーズ+レタス
  • バナナ+チーズ

の二種類。(ついついチーズ入れたくなる病)

ハムの入ってる方は結構厚みもあって豪華な感じがして良かったし、バナナチーズもデザート感覚で食べられて美味しかったです!

1ヶ月前くらいの休日に作った時は、

  • 鯖缶のサバ+玉ねぎ+きゅうり+マヨネーズ+コショウたっぷり

というレシピだったんですが、これも美味しかったなぁ。魚系レシピを開拓したい。鮭缶使ってみたりとか。

 

可愛くて使える家電は生活を豊かにしてくれる

朝が弱くて五分でも長く寝ていたいというのは変わらないんですけど、我が家のホットサンドメーカーちゃんは見た目も可愛いし、おいしいし、ただでさえ憂鬱で疲れも残っていたりする平日の朝がすこしだけ幸せになりました。

同じシリーズの別の家電も可愛かったんだよなぁ…。オーブントースターも古くなってきたからそのうち変えたいなぁ…。

 

スナックまなつは元気をもらえる空間だった

まなつさんに会ってきた

憧れのブロガーさん、まなつさんにお会いしに、スナックまなつに出かけてきました。

行きがけに同行者のキツネさんとちょっと喧嘩するし(旅行とかでも大体一回は移動中に喧嘩する)、電車が乗り換え前のも乗り換え後のやつも遅れてるし、なかなかに面白い立地だし、お友達のだなえさんと道でばったり出くわすし、のっけからもうなんだかイベント感満載でした。あ、入ってすぐ座ってみた座り心地が面白すぎるソファー、楽しかった。

 

暖かい空間

なんかね、とってもあったかい空間だったのですよ。まなつさんとチーママの笑顔と包容力と面白トークの力が大きいと思いますが、すごく雰囲気があったかくて。自然と隣り合った人同士話し始めて、面白そうな話題にはちょっと席離れててもどんどん入ってく、みたいなところがとても楽しかったです。初対面の人とあんな打ち解けて話せたの、初めてかも!はっ、これがスナックというやつなのか…!スナック初体験だ…!

まなつさんが最初からパートナーの黒豹さんのことを「妻」と言っていて、なんかいいなぁ、と思ったりもしました。黒豹さんの話をめっちゃ嬉しそうに話されるのですよね〜。ほっこりしました。まなつさんがそうやってオープンな感じなので、キツネさんとわたしも普通にカップルとして振る舞えましたし、「男と女どっちが好きなの?」から始まる近くの席の方との恋バナもとっても楽しかったです。

 

ふたつの目的を達成

わたし、アイドルや観劇の現場では推しは遠くから見ていたい派なのですが、憧れのまなつさんに今回会いに行ったのは、「出版おめでとうございます」って直接お伝えしたかったからなんです。まなつさんのブログを初めて読んでから「あっ、きっとこの人はすぐに本を出せる人だ」と思っていたんです。一方で、L Bブロガーとして親近感を勝手に感じてるところもあって。だから、ほんとに一度お会いして、ちゃんとお伝えしたかったんですよね。

そして、行くことを決めてから、「どうしたらまなつさんみたいに文章が上手くなれますか?」って絶対に聞こうと思っていたんです。帰り際の質問だったけれど真摯に考えてくださって、嬉しかったな〜。わたしもたくさん本読んでたくさん書けるように頑張ります。(ちょうどほかの好きな文書きさんが、好きな作家さんの文章をたくさん写経したって話を見かけていたので、相通じるものがあるなって思いました。)

 

思わぬ嬉しいこと

そして、思わぬ嬉しいことがありました。隣に座っていた方とその隣の方が、わたしのブログを読んでくださっていたみたいで…!あの記事とあの記事読みましたって読んだ記事まで教えてくださって…!超嬉しかったです!ありがとうございましたー!

そして、帰り際一緒になった方々、わたしがイヤリングを落としてしまったのを一緒に探してくださったりもしました。本当に寒い中、ありがとうございました。結局イヤリングは見つかりませんでしたがそのお気持ちが嬉しかったです。

 

はあ〜しかし楽しかった。もしもスナックまなつが普通のお店としてあったら常連になりたい。仕事の帰り道にふらっと寄ってまなつさんとおしゃべりして帰るっていうことができたらきっと楽しい。キツネさんがコロッケ出すの手伝ったりしていたけど、そんな感じで自然にお手伝いできる常連さんになりたい!

 

5月にも開催予定とのことなので、ご興味のある方は是非是非、ご参加ください〜!

 

極上文學 風の又三郎・よだかの星を観てきました。(3/11 マチネ)

やっと観られた極上文学

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MAG.net 公式サイト - MAG.net 公式サイト

 

ずーっと生で観たいと思っていた、極上文学。
今回の「風の又三郎・よだかの星」を観てみたら思った以上に素晴らしかった。
宮沢賢治、じつはあんまり得意じゃなかったのだけど、役者さんの言葉で紡がれるとこんなにも綺麗な音、情景として表現されるのかとびっくりした。東北の豊かで厳しい自然の情景や、宮沢賢治独特の幻想的なきらきらとした景色があざやかに目に浮かぶようだった。
演者さんの力と演出の素晴らしさが、文学作品のもともとの言葉のうつくしさを引き立てているんだと思う。文学作品の世界観の中に浸れるあの時間はとてもとても幸せだった。(べつの作品もDVDで観たことがあるけど、やはり作者さんごとにことばの選び方や世界観が大きく違うなあというのを、実際に言葉で読み聞かせられると実感する。)

 

お話のこと

お話は、「風の又三郎」がメインにある中で、学校の生徒たちが読む本の中に「よだかの星」があるという構成。そして風の又三郎の「一郎」の家族構成のところに、少し「ひかりの素足」のエピソードが混ぜられている。
感想が、うまく言葉であらわせない…。キャッチコピーが「これは“さいわい”と“さびしさ”のおはなし。」だったのだけど、まさにそういう感じ、としか言い様がない。表現できないけれど、とても感情を揺さぶられる物語だった。
風の又三郎では、こどもの残酷で鋭敏な感性で拒絶されてしまい、さよならも言えないまま去るしかなかった三郎や残された一郎、嘉助の視点での「さびしさ」ももちろん感じるのだけど、みんなで一緒くたになって遊んで、空を見上げた時の幸福感、一瞬のきらめき、そういったものもあのラストだったからこそより一層強く感た。
よだかの星では、だれからも拒絶されるよだかのさびしさも感じたけれど、一方で傲慢で偉そうな鷹から殺される前に、いのちを振り絞って飛び、星になって美しく輝くよだかには、悲しく寂しいだけではない、別の感情も感じて何度も思い出しては考えてしまう。(誇りとか、決意のうつくしさとか、あのとき感じたことに名前をつけようとしてみたけれど未だ上手くいかない。)
なんだか、人間って、こんなに繊細で複雑な感情を持つことができるんだっていうことを改めて目の前で見せられたようような気持ちで、驚くような嬉しいような気持ちになった。「さいわい」も「さびしさ」も、「怒り」「喜び」に比べたらずいぶんと淡い感情。でも、そのなんとも言えない感情を確かにわたしたちは感じているんだなぁ…。それを物語を通じて表現できる宮沢賢治も、それを表現してしまう役者さんや演出に関わるすべての人も、物凄い…。

 

納谷くんのどこか神秘的な「少年感」

風の又三郎では、本当に納谷くんの演技と存在感が素晴らしくて、納谷くんのデビューの頃から観てきた身としては、着実に役者として成長してきている彼に、誇らしいような気持ちになった。
じぶんとは明らかに違う見た目で使う言葉も違う、よそからやってきた三郎を、少年たちは色んな意味で特別視する。それは「風の又三郎」というおそろしい風の精としての側面もあれば(原作にはないけれど、「ひかりの素足」のエピソードが加わり一郎の弟が風の又三郎に連れ去られたのではないかという疑念を少年たちにつぶやかせることで、より一層少年たちの恐れの気持ちがわかりやすく表現されていたと思う。)、おそらく豊かな家庭に生まれ、賢く美しい三郎に惹かれ、仲良くなりたいと思う側面もあったと思う。
そんな三郎という役の説得力があった。納谷くんの、透明感のある整った顔つき、背の小ささ、手つきの美しさ、そして意外と低めの声…すべてがあの役のためにあるかのよう。たよりなげな子供の仕草と表情をしているときの彼と、低めの声を存分に操る「風の又三郎」としての彼。どっちも素晴らしかった。可愛いのにどこか妖艶な感じがするところがよい…。ガラスのマントを羽織ってそらを飛んでゆく前の、ぶらぶらと足を揺らしながらセットに斜めに座って、つめたい感じの表情をしているシーンが神秘的でとても好きだった…。
最終的には、少年らしい残酷さで村の子供たちは三郎を拒絶し、村の子供たちの前から三郎はいつの間にか姿を消してしまう。最後の、「二人はしばらくだまったまま、相手がほんとうにどう思っているか探るように顔を見合わせたまま経ちました。」というシーンでは、なんともいえないような気持ちになった。きっと後悔もあれば寂しさもあれば、安心するような気持ちもあって、いろんな感情が渦巻いていたけれど、ことばにならなかったのだろうなあ…。あれから、三郎はどうなったんだろうなあ…。残された村のみんなは、ずっと、ちょっとした傷や不思議な思い出として、あの頃のことを心のどこかに仕舞ったまま生きていくんだろう。そしてきっと、三郎とのことが、ほんのすこし、その後の人との関わり方や人生にも影響していくのだろうなあ。
ちなみに、ラストシーンにほんの少し、行く末を暗示するシーンが付け足されていたけれど、わたしは、ちょっと蛇足かなと思った。どうなったのかな、とそれぞれが思いを馳せるというのがよいのではと思う方なので…。

 

藤原さんのよだかのせつなさ

そして、ふじわらさんのよだかの星。
ふじわらさんは、なんという凄いひとなんだろうと思った。
かなしいひと、さびしいひとを演じさせたら誰よりうまいと思う。ふじわらさんが演じるからこそ、あんなにも心を動かされて、泣いてしまった。
「よだかは、実にみにくい鳥です。」という言葉から始まるこの物語でよだかは誰からもただみにくいというだけの理由で疎まれるのだけど、彼は最初から、ずっと不安げで儚い表情をしている。鷹から酷いことを言われたときの返し方も、これもちょっと上手く言葉にならないのだけど、なんでこんなふうにうまく表現できるのだろうという感じ。星に願いを告げるときの必死さも、もう他に行くところがないのだという切実さを感じる叫びだったし、最期のシーンですこし柔らかい表情をするところも、すごく胸を打たれた。
……はあ。ほんとうに、感想にならない。うまく言葉にならない凄みのある表現だった。そして一方で、言葉にして分解するのがもったいないくらいの演技だった。

ほんとうに技巧も心もある人だよ…。彼のお芝居に真摯に向き合い続ける姿勢を、本当に尊敬します。彼のよだかを見られて良かった。

 

ひととは「ちょっと違う人」のさびしさ

あらためて感想を書いていて、風の又三郎もよだかの星も、まわりと「ちょっと違う人」の孤独を描いているなと思った。宮沢賢治は、どちらの作品でもわかりやすい「救い」を描いていない。だからこそ、見た後しばらく考えこんでしまった。
よだかの星を観たとき、よだかと自分自身を重ね合わせたりもして。世間一般とは少し違うパートナーのいるわたしは、もちろん世間の理解も深まっているとはいえ、よだかのように家族に迷惑をかけるからと関係性を自ら断ち切るようなこともあるかもしれない、とか。
まわりと「ちょっと違う」人はひとから拒絶され、孤独の中に生きる。それは、きっと人生の終わりまでつきまとう孤独なんだと思う。関係性を結ぶ努力が実を結ぶこともあればそうでないこともある。よくある物語では、前者が美しく描かれるけれど、風の又三郎やよだかの星は後者の物語だと思う。
でも、その「人とはちょっと違う」人の姿が、又三郎のように美しい思い出や傷として人のこころに残ったり、よだかよのうに自分自身が満足できる最期を迎えられて美しい星として存在できるのであれば、その存在意義があったと言えるのかもしれない、なんてことを思ったりもした。

宮沢賢治は、安易な「救い」を描かないからこそ、やさしい。そんな気がした。彼は東北の貧しい地域のなかで裕福な家に生まれ、苦悩しながらも農村の人々のために尽くしたというエピソードがあるようだけれど、彼も孤独を感じながら自分の信じる道のために命を燃やしたのかなあ、なんて想像した。

LGBTフレンドリーな不動産屋さんで家を借りようとしてみて。

引越ししたい病

ときどき引越ししたい病に罹患することがあります。少し前に、パートナーと二人でその病に罹患して不動産屋巡りをしている最中、「LGBTフレンドリーであることを売りにしている不動産屋さん」に行ったときのことを書きたいと思います。まーひどいもんでした。どこの会社とは言いませんけれども、家探しでお困りの方のために、どんなふうだったのかを書き記しておきたいと思います。

 

不動産屋さんに連絡する

LGBTフレンドリーであることを表明している不動産屋さんって、「LGBT 賃貸」で検索すると何件か出てきますよね。前々から女性二人でカミングアウトせず家を借りることに不便を感じていたので、そういう不動産やさんに興味を持っていました。カミングアウトした状態で家を借りる相談ができるなら楽だなあと思っていたのです。

まずはメールで問い合わせをすると、数日のうちにその不動産屋さんから連絡がありました。これ、実は結構待ったほうです。おそらくですが、不動産業界の営業さんってメールは即レス、なるべくすぐ電話、っていう教育が浸透しているんじゃないかなぁ。大概の不動産屋さんは問い合わせすると即日メールや電話が来ます。きっとLGBTフレンドリーな不動産屋さんに興味のある人も多くて、問い合わせが多いんだろうな、だから遅くなったんだろうな、と思いました。

そして電話でお話してみると、なんだか感じは良さそう。女性二人で住みたくてっていう要望もすんなり受け入れてくださりました。ひとつだけひっかかったのは、「いらっしゃる時は丸一日お時間をあけておいてくださいね」という言葉。まだ初回の問い合わせなのに、そんなに時間かかるかなぁ?と少し思いましたが、その時は深く考えずに了承しました。

 

行ってみる

そうして、約束の日にパートナーのキツネさんと二人で不動産屋さんに出かけていきました。対応してくれたのは、元気が良さそうな感じの男性の営業さんで、電話でも伝えておいたものの、改めてということで物件の希望条件を聞かれました。

そこでわたしたちの関係と、親にはカミングアウトしていない上に以前も保証人になるのを拒絶されそうになったという経緯があり、保証人不要の賃貸を探したいことなどを伝えました。

頼もしげに分厚い胸板を叩き、「わかりました。安心して任せてください」と重々しく頷いたその人は、「わたしはこれまでもLGBTの方のお部屋探しをいくつも手伝ってきましたが、ちょっとしたコツがあるんですよ」と誇らしげに仰りました。

わたしたちは前のめりになりました。そんなコツがあるなら是非聞いてみたい。これまでルームシェア物件を探しても数が限られていたり、親に保証人にならないと言われたり、いろんな苦労があったけれど、もうその苦労をしなくていいのかもしれない。そう感じてワクワクとすらしていました。

しかし、その後の言葉に、わたしたちは耳を疑うことになります。

「ルームシェアっていうとそれだけで物件数は減っちゃうでしょう。だから、ルームシェアと言わずにどちらかお一人が家を借りて、もう一人は黙って住んじゃえばいいんですよ」

 

………え、それがコツ?

……転がり込むスタイルってこと?(´⊙ω⊙`)

 

「心配ないですよ。普通は大家さんは気づきません。気づいたとしてもその段階で言えば全く問題ないです」

そんなことを、その人は仰います。

「あの…でも、わたしたち、今の家に入居した時に、二人でルームシェアしてるって言ってるけど実は三人で住んでるんじゃないかって何故か大家さんに疑われたことがあって…。じつは片方の髪を切った前後の姿を見て勘違いしたらしいんですが…。大家さんに無断で住むって、そういうことが起こるんじゃないですか?それで契約違反だって言って追い出されたりしたら…」

わたしたちがそう反論しても、その人は「心配ありません。そうなったら届け出ればいいだけです。追い出されたりはしません」と無駄に自信満々。その根拠も教えてくれません。

釈然としないままながら時は過ぎ、不安を残しながらも、その後彼が探してきた物件情報を元に、午後は気になった内見に行くことになりました。

 

内見に行く

ともあれ、内見は楽しいもので、こんな部屋だったらこんな生活がしたいな、でもここは理想と違うな、なんて考えながら何件かの家を見て回りました。でもやはり、最初の「LGBTが部屋を借りるコツ」がひっかかっていたので、その日は見るだけで帰ろうと思ったのです。

しかし、その人は最後に見た家で、もう帰ろうとしたときに仰いました。

 

「で、ご契約はどうされますか?見ていただいてちょっとでもいいなと思ったら、とりあえず申込入れておかないとこの時期すぐに埋まっちゃいますよ。とりあえず申込だけでもしていきませんか?」

 

押し売りじゃんかー!!!!( ;∀;)

 

なんとなく、扉を背にする方向で立っているのが怖くて。このまま契約しないと家に返さないつもりだったらどうしよう、なんて一瞬考えてしまいました。その後、しつこい営業を固い意志でなんとかかわして帰れたものの、もうぐったりしてしまいました。わたしの休日を丸一日費やしてこれか…とがっかり。

 

帰宅後冷静になって…

後から考えてみれば、「LGBTは家が借りにくい」っていう弱味につけこんだ商売の仕方だったんでしょうね。怒りすら湧きます。

なんだか話し方もやたら恩着せがましかったし、もったいぶって大したことない上に危険のある「コツ」を伝えてくるのも下に見られているなと思ったし、「こっそり住んじゃえばいい」なんて、お前たちみたいな日陰者は「ふつうの」夫婦と違うんだから妥協してコソコソ生きなきゃいけないって言われてるみたいですごく嫌でした。

わたしは、たとえば、カミングアウトした状態で相談しても、その不動産屋さんが、ルームシェア不可でも夫婦ならOKの物件なんかで大家さんとしっかり交渉してくれるのかと期待していたんです。多少打率が低くなったとしても、わたしたちに代わって交渉してくれるならそれ以上心強いことはない、と思っていたんです。それが大きく裏切られた気持ちでした。

 

ほかの普通の不動産屋さんに行く

ちなみに、その後結局引越しは諦めて次の機会に、ということになったのですけど、諦める前に何件か別の不動産屋さんにも行ってみたんです。

そうしたら、落ち着いた感じのお兄さんが、

「女性二人のルームシェアですね。たしかにルームシェア可能物件で共同で契約をしようと思うと数が減るんですが、この年収ならお一人が借主になる形でも契約はできると思いますよ。もう一人は同居人ということで最初にしっかりと届け出ましょう」

と丁寧に親切に相談に乗ってくださって、感動してしまいました。これがよき接客というものだよ…!ちゃんと相手の立場に立っていろんな選択肢の中からどれが一番いいか考えてくれるっていうのがいい。押し付けではなくて、提案。しかも、誰かが嘘をついたり隠したりせずに、みんなが納得できる方向で双方と交渉していくのが、人と人の間に立って仕事する人のあるべき姿だと思うのですよ。感動しすぎて、その後思わずお礼のメールを送ってしまいました。(結局その時は住み替えをしなくて、お仕事をお願いする機会がなくてとても残念。)

 

 

LGBTフレンドリーとホームページに書いてあるからといって信用してはいけない

 教訓めいたことを言うならば、LGBTが賃貸物件を借りようとするときの不動産屋さん選びのコツは、LGBTフレンドリーであるという看板を掲げているということではなく、親身になって相談にのってくれる人かどうか、大家さんとの交渉力や交渉ノウハウがどれだけあるかということだなと思いました。

もちろん、LGBTフレンドリーの看板を掲げていて、かつ、ちゃんとした不動産屋さんもあると思いますよ。でもいわゆる「ピンクマネー」を狙ってとりあえず参入してきた、本当には理解していない人たちも多分いて。注意しないといけないなと思いました。

「長く住んでくれないんじゃないか」「家賃を滞納するのでは」「部屋を汚すのでは」とへんな心配をされてルームシェアと偽ってもカミングアウトしても選べる物件が減ってしまいがちな同性パートナー同士も、書類の男女表記と見た目が違ってしまいがちなトランスジェンダーの方が家を借りる時も、カミングアウトするかしないか、カミングアウトしたとしたら受け入れてもらえるか、カミングアウトしないならどんなふうに自分たちの「本当」を隠すか、必ず悩むのではないかと思います。こんな状況ってほんとうに不平等だと思います。不動産広告最大手のSUMOさんもLGBTへの配慮を示してくださっていますが、こんな企業がもっと増えたらいいのになと思います。

 

 

 

傷付いた記憶との距離

カレンダーを見ていて、もう二年も経つんだなあとふと思った。前職でひどく傷つけられて辞めることを決意したあのころから。
最近、その会社にいたころのことをよく思い出す。去年もこの時期にナーバスになっていたから時期的なものなのかな。なぜかその会社の最初の上司のイメージがふと脳裏によぎったり、取引先の会社にその上司と同姓同名の方が着任されたり、その上司が通勤で使う電車に乗っていたら、そっくりな人を見かけたりした。有り体に言えば、その影に怯えていた。そんなとき、その上司とのやりとりを書き留めていたメモを、たまたま、べつの捜し物をしていて、見つけてしまって、怖い物見たさで覗いた。そして、忘れていた出来事を思い出した。

 

退職する一年とすこし前。
従業員数が二桁ぎりぎりしかいないその小さな会社では、四半期に一度全社会議がある。そこでわたしは泣き出してしまった。
なんで泣いてしまったのかは覚えていない。
その会社では「詰める」という文化があって、営業会社ではありがちなことなのだけれど、目標数字に売り上げが達しない場合、その理由を厳しく問い詰められる。
言い方は決してきつくなかった、はず。でも、わたしは経営陣からの質問に答えられなくて泣き出してしまった。
気が強い方で、たとえば受験の時、塾のめちゃくちゃ怖いと有名な先生に怒られてもクラスで唯一泣かなかった。そんなわたしが。あり得ない、と思ったけれど涙が溢れて喋れなくなってしまった。


わたしは、その場を逃げ出した。

 

ちいさい会社だったから、トイレに逃げても会議室に声が聞こえてしまう。だからエレベーターで階下に降りて、会社の前で泣いた。
泣いても泣いてもいくらでも涙は溢れてきた。
大の大人が、嗚咽を上げて路上で泣くことが恥ずかしくて、嫌で、早く泣き止みたかったのにどうにもならなくて、長いことそこで泣いていた。

 

今思えば、そこに至るまでにかなり精神的に追い詰められていたのだと思う。やったことのない新規営業。それだけでもストレスのかかることなのに、いかにわたしが気遣いができず愚鈍で、一般的な意味での「営業」を学んでこなかったのか、いかに怖がりで度胸がないのかを、突きつけ続けられる日々だった。ふつうに、新規営業は向いていなかったと思う。でも、だからこそ、新卒と同じ気持ちで頑張ろうとした。上司からは、逐一行動をチェックされ、ちょっとでもできてないところが見つかると「だからお前はダメなんだよ」と言われつつ、一方で「俺がお前を三年で一人前にしてやるからついてこい」とも言われていた。「ここで頑張れなかったらどこでもやっていけない。肉体労働でもすればいい」と半笑いで脅かされていた。「わたし、なにもできなかったことにこの会社に入って気づきました」と呆然と呟いたら「知ってたよ。面接の時、あ、この女の子何にもできないんだなって思ったもん」と言われたこともあった。それでも採用してもらったことに感謝しつつ「やっぱりそうなんだ。わたしが人並みに仕事ができるなんて幻想だったんだ」と崖から突き落とされたような気持ちで思った。ミスをひとつもしてはいけないし上司の細かい指示も一つ残らず全て次の週の会議までにやらないとまた「だからお前はダメなんだよ」と言われてしまう。必死だった。


そういう、つらいとか苦しいとか、単純な言葉にできない思いが積み重なって、会議の場で涙の形として出てきてしまったんだと思う。その後、なんとかかんとか、しゃべれるくらいには泣き止んで、会社に戻った。もう会議は終わっていた。当然ながら、上司に呼び出された。
「要望が二つある」と上司は言った。

 

ひとつめ、謝ること。ふたつめ、「わかりません」って言わないこと。

 

確かに、同僚全員に心配をかけたと思った。だから、謝ることについては素直にはいと言った。「わかりません」については、どういうことか詳しく教えてください、と質問した。「わかりません」は拒絶の言葉だから、それを言うな、もうちょっと考えろ、と言っていた。たぶん、わたしが泣いて飛び出す前に「わかりません」って言ったのだと思う。泣きすぎて頭がぼおっとしていてよくわからなかったけれど、それもそうかもしれない、と思って「はい」と言った。

 

そこからすこし上司と会話した。
「プライベートには踏み込まない。でもちゃんと切り替えて仕事して」「感情的になるのは別にいいよ、女だし。生理もあるし」
そんなことを言われた。今思えば厭な言葉だったなと思う。彼の女性観がにじみ出ている言葉だった。そういえばこの人は営業活動を性行為やナンパに喩える癖もあったし、奥さんがいるのに堂々と女性を口説く姿もよく見た。営業のセンスをつけるために「ナンパしてみろ」と言われることもあった。女性と付き合っているとカミングアウトしてからは、「お前女もいけるのか。じゃあ今度キャバクラ連れて行ってやるよ。営業の勉強になるから」と言われたこともあった。でもその時は、嫌な気持ちにはなったけど、疲れすぎていてそれを言語化できなかった。

 

感情を抑制できなくなってしまった原因についても少し会話した。わたしは、頑張る気力が起こらない、疲れているのかも、と言った。精神的にも肉体的にも。
そのことについて少し話し合ったあと、冷静になるために、数日おやすみをもらうことになった。最後に上司は、「腹を決めてほしい。無駄だから。次の環境に早く進む方が成長できるかもしれないしお互い不幸じゃない」と言われた。
今思えばそれは、退職勧奨だったしマネジメントの放棄の言葉だった。
その頃のわたしは明確にはそう認識していなかったけれど。わたしには「腹を決めてやりなおします」という言葉しか残されていないように思えた。それ以外の答えをいうことは自分がダメな存在であることを決定的に認めることだった。転落人生の第一歩のようにも思えた。また次の会社でもその次の会社でも同じことが起こって、何社も渡り歩いて、やりたい仕事なんてなにひとつできなくなって、しまいには職も失うんじゃないかというイメージが湧いて、虚無を覗き込むような気持ちになった。

 

その頃、よく「死にたい」と口にしていた。彼女の前だけで。最初は冗談のつもりだったけれどそういう言葉のチョイスをしてしまうこと自体、多分心がおかしくなりかけていたってことだったんだと思う。その頃の癖が今も残ってしまっていて、つらくて苦しいけどうまく言葉にならない時、ついつい頭の中で「死にたい」って呟いてしまう。

 

本当は、この事件のこと、忘れていた。あのメモを見つけなかったらずっと忘れたままだったかも。防御反応みたいなものなんだと思う。昔もね、多分いじめっぽいことがあって、泣いて家に帰って両親にびっくりされたことがあったらしいのだけど、その事実自体をすっかり忘れていて、あとから両親に言われて、じわじわ思い出したことがあった。その時と一緒。

でもね、忘れてはいたんだけど、感情の面でケリはつけられていなかったんだと思う。その上司や、その次の上司や、その会社のこと、二年経った今でもほとんど毎日思い出している。さすがに、感情を伴うことは少なくなったけど。ふとした瞬間にその会社で言われたことや、学んだことを思い出すし、今の会社の人や環境と比べている。正直言って、その会社で力がついたのも事実で。それでも、わだかまって解けない思いもある。

 

三年経っても四年経っても、十年経っても、毎日毎日思い出すってことは、さすがにないと思いたい。でも、たぶんこの記憶とは一生付き合っていかなきゃいけないんだろう。

つらいことも嬉しいことも、悲しいことも素敵なことも、その全てが今のわたしを形作っている。なんの解決にもなってないけど、ただそう思った。一年前のブログとか読み返すと、なんとか早く区切りをつけなきゃ、総括しなきゃって思ってる感じがするんだけど、最近はそうは思わなくなった。

ただそうやって諦めて、自分の感情を、どうしたもんかなぁって、腕組みして外側からじっくり眺められるようになった、そのこと自体が、ちょっと前に進めた証のような気がしている。

 

 

自己肯定感が低いから「数字」に縋ってしまう

自己肯定感

昔は低かったですね、自己肯定感。いろんな場面で自分は駄目だと思ってたから、ブラック企業でパワハラされても最初は純然たる指導だと思っていました。

その低い自己肯定感が高くなってきたのはパートナーのおかげで、もちろん駄目なとこは指摘されるんですけれど、まるごとわたし自身を受け入れてくれているっていう感じがあって、それで自分で自分に「いいじゃん」「頑張ってるじゃん」って言えるようになってきました。数年前までは、時々不安になって「ねえ、わたし頑張ってる?」ってパートナーに聞いていたのもいい思い出。……思い出してみれば、ほんとに最近そういう聞き方しなくなったなぁ。やりがい搾取、成長信仰のグレー企業から脱出したせいもあるかも。よかったねぇ、じぶん。

 

人からの承認に縛られる

でも、自己肯定感の問題って根深いなぁと思う時があります。かなり自己肯定感を持てるようになってきたとはいえ、駄目な自分もまるごと受け入れて、生きてるだけで丸儲け的なポジティブシンキングにはとても至れていません。

どんな時にそれに気づくかというと、「数字」に縛られている自分に気づいた時。

営業の仕事を新卒の時からしてきたのですが、目標に達してない時は息をひそめるようにして生きているのに、目標額を達成したり、売上順位が上の方になったりすると急に傲慢な感じになりはじめます(笑)そして今まで思ってても言えなかった不満や愚痴が噴出します。わかってるから、なるべく出さないように気をつけてはいますが。自覚してなかった新卒三年目くらいの時は鼻持ちならないガキだっただろうと思います。

多分普段じぶんのこと駄目だと思ってるから、たまに誰からもわかる客観的な指標で「認められる」状態になると、過剰に「わたしはすごいんだ。だってこれだけの実績あるから!」ってそこにすがりつきたくなってしまうんだと思う。で、人に対しても、数字作れてない時は同じ平面にいるから、たとえば「書類の締切守った方がいいよね、あの人いつもやらないけどわたしはちゃんとやろう」くらいだったのが、売上が立つようになるとどうしても自分を高みにおいてしまって「数字も作れなくて書類の締切も守れない人ダメすぎない?」みたいに、見下しモード入ってしまって、かえってストレス溜めてしまうという。い、いかん…。こうして文字にしてみると嫌なやつ感がすごい…。気をつけねば…。

数字作れない人も、締切守れない人も、人間として悪い人じゃないって本当はわかってるのにね。一瞬の感情では、そんな風に思ってしまう。

 

自分を自分だというだけで好きになりたい

で、仕事できるとかできないとか自分の尺度で決めつけて上から目線で見てしまうことがある自分からも自由になりたいし、そう見ないように気をつけるところも継続してやっていきたいけど、一方で、もっと根本の、条件をつけなくても自分は生きていてもいいし発言してもいいんだって思えるようにすることもなんとかしてやっていけないかなぁと思っています。方法はよくわかんないのだけど。少なくとも数字よりかは、◯◯が今日できた、みたいなところに軸を持っていける方がよさそうな気がする。

数字を軸にしてるとどうしても高い低いに囚われて、ひとや自分の人間性に目が行かなくなってしまう。記号的に、高い=いいこと、偉いこと、低い=だめなこと、悪いこと、と捉えてしまいがちになる。それに、「いい数字」を上げ続けるためにずっと汲々としなければならなくなる。「数字」を指標にすることは、会社的価値観とそのフィールドでは必要なことだけど、それを「自分という人間」の指標にしちゃうと苦しくなるから、分けて考えられるようになりたい。

三十路に至ってもまだまだ、自分の扱い方は試行錯誤の途上です。機嫌よく日々を過ごせるようになっていきたいものです…。