七転び八起き

観劇記録、ハロプロのこと。たまにLGBTとお仕事の話も。

傷付いた記憶との距離

カレンダーを見ていて、もう二年も経つんだなあとふと思った。前職でひどく傷つけられて辞めることを決意したあのころから。
最近、その会社にいたころのことをよく思い出す。去年もこの時期にナーバスになっていたから時期的なものなのかな。なぜかその会社の最初の上司のイメージがふと脳裏によぎったり、取引先の会社にその上司と同姓同名の方が着任されたり、その上司が通勤で使う電車に乗っていたら、そっくりな人を見かけたりした。有り体に言えば、その影に怯えていた。そんなとき、その上司とのやりとりを書き留めていたメモを、たまたま、べつの捜し物をしていて、見つけてしまって、怖い物見たさで覗いた。そして、忘れていた出来事を思い出した。

 

退職する一年とすこし前。
従業員数が二桁ぎりぎりしかいないその小さな会社では、四半期に一度全社会議がある。そこでわたしは泣き出してしまった。
なんで泣いてしまったのかは覚えていない。
その会社では「詰める」という文化があって、営業会社ではありがちなことなのだけれど、目標数字に売り上げが達しない場合、その理由を厳しく問い詰められる。
言い方は決してきつくなかった、はず。でも、わたしは経営陣からの質問に答えられなくて泣き出してしまった。
気が強い方で、たとえば受験の時、塾のめちゃくちゃ怖いと有名な先生に怒られてもクラスで唯一泣かなかった。そんなわたしが。あり得ない、と思ったけれど涙が溢れて喋れなくなってしまった。


わたしは、その場を逃げ出した。

 

ちいさい会社だったから、トイレに逃げても会議室に声が聞こえてしまう。だからエレベーターで階下に降りて、会社の前で泣いた。
泣いても泣いてもいくらでも涙は溢れてきた。
大の大人が、嗚咽を上げて路上で泣くことが恥ずかしくて、嫌で、早く泣き止みたかったのにどうにもならなくて、長いことそこで泣いていた。

 

今思えば、そこに至るまでにかなり精神的に追い詰められていたのだと思う。やったことのない新規営業。それだけでもストレスのかかることなのに、いかにわたしが気遣いができず愚鈍で、一般的な意味での「営業」を学んでこなかったのか、いかに怖がりで度胸がないのかを、突きつけ続けられる日々だった。ふつうに、新規営業は向いていなかったと思う。でも、だからこそ、新卒と同じ気持ちで頑張ろうとした。上司からは、逐一行動をチェックされ、ちょっとでもできてないところが見つかると「だからお前はダメなんだよ」と言われつつ、一方で「俺がお前を三年で一人前にしてやるからついてこい」とも言われていた。「ここで頑張れなかったらどこでもやっていけない。肉体労働でもすればいい」と半笑いで脅かされていた。「わたし、なにもできなかったことにこの会社に入って気づきました」と呆然と呟いたら「知ってたよ。面接の時、あ、この女の子何にもできないんだなって思ったもん」と言われたこともあった。それでも採用してもらったことに感謝しつつ「やっぱりそうなんだ。わたしが人並みに仕事ができるなんて幻想だったんだ」と崖から突き落とされたような気持ちで思った。ミスをひとつもしてはいけないし上司の細かい指示も一つ残らず全て次の週の会議までにやらないとまた「だからお前はダメなんだよ」と言われてしまう。必死だった。


そういう、つらいとか苦しいとか、単純な言葉にできない思いが積み重なって、会議の場で涙の形として出てきてしまったんだと思う。その後、なんとかかんとか、しゃべれるくらいには泣き止んで、会社に戻った。もう会議は終わっていた。当然ながら、上司に呼び出された。
「要望が二つある」と上司は言った。

 

ひとつめ、謝ること。ふたつめ、「わかりません」って言わないこと。

 

確かに、同僚全員に心配をかけたと思った。だから、謝ることについては素直にはいと言った。「わかりません」については、どういうことか詳しく教えてください、と質問した。「わかりません」は拒絶の言葉だから、それを言うな、もうちょっと考えろ、と言っていた。たぶん、わたしが泣いて飛び出す前に「わかりません」って言ったのだと思う。泣きすぎて頭がぼおっとしていてよくわからなかったけれど、それもそうかもしれない、と思って「はい」と言った。

 

そこからすこし上司と会話した。
「プライベートには踏み込まない。でもちゃんと切り替えて仕事して」「感情的になるのは別にいいよ、女だし。生理もあるし」
そんなことを言われた。今思えば厭な言葉だったなと思う。彼の女性観がにじみ出ている言葉だった。そういえばこの人は営業活動を性行為やナンパに喩える癖もあったし、奥さんがいるのに堂々と女性を口説く姿もよく見た。営業のセンスをつけるために「ナンパしてみろ」と言われることもあった。女性と付き合っているとカミングアウトしてからは、「お前女もいけるのか。じゃあ今度キャバクラ連れて行ってやるよ。営業の勉強になるから」と言われたこともあった。でもその時は、嫌な気持ちにはなったけど、疲れすぎていてそれを言語化できなかった。

 

感情を抑制できなくなってしまった原因についても少し会話した。わたしは、頑張る気力が起こらない、疲れているのかも、と言った。精神的にも肉体的にも。
そのことについて少し話し合ったあと、冷静になるために、数日おやすみをもらうことになった。最後に上司は、「腹を決めてほしい。無駄だから。次の環境に早く進む方が成長できるかもしれないしお互い不幸じゃない」と言われた。
今思えばそれは、退職勧奨だったしマネジメントの放棄の言葉だった。
その頃のわたしは明確にはそう認識していなかったけれど。わたしには「腹を決めてやりなおします」という言葉しか残されていないように思えた。それ以外の答えをいうことは自分がダメな存在であることを決定的に認めることだった。転落人生の第一歩のようにも思えた。また次の会社でもその次の会社でも同じことが起こって、何社も渡り歩いて、やりたい仕事なんてなにひとつできなくなって、しまいには職も失うんじゃないかというイメージが湧いて、虚無を覗き込むような気持ちになった。

 

その頃、よく「死にたい」と口にしていた。彼女の前だけで。最初は冗談のつもりだったけれどそういう言葉のチョイスをしてしまうこと自体、多分心がおかしくなりかけていたってことだったんだと思う。その頃の癖が今も残ってしまっていて、つらくて苦しいけどうまく言葉にならない時、ついつい頭の中で「死にたい」って呟いてしまう。

 

本当は、この事件のこと、忘れていた。あのメモを見つけなかったらずっと忘れたままだったかも。防御反応みたいなものなんだと思う。昔もね、多分いじめっぽいことがあって、泣いて家に帰って両親にびっくりされたことがあったらしいのだけど、その事実自体をすっかり忘れていて、あとから両親に言われて、じわじわ思い出したことがあった。その時と一緒。

でもね、忘れてはいたんだけど、感情の面でケリはつけられていなかったんだと思う。その上司や、その次の上司や、その会社のこと、二年経った今でもほとんど毎日思い出している。さすがに、感情を伴うことは少なくなったけど。ふとした瞬間にその会社で言われたことや、学んだことを思い出すし、今の会社の人や環境と比べている。正直言って、その会社で力がついたのも事実で。それでも、わだかまって解けない思いもある。

 

三年経っても四年経っても、十年経っても、毎日毎日思い出すってことは、さすがにないと思いたい。でも、たぶんこの記憶とは一生付き合っていかなきゃいけないんだろう。

つらいことも嬉しいことも、悲しいことも素敵なことも、その全てが今のわたしを形作っている。なんの解決にもなってないけど、ただそう思った。一年前のブログとか読み返すと、なんとか早く区切りをつけなきゃ、総括しなきゃって思ってる感じがするんだけど、最近はそうは思わなくなった。

ただそうやって諦めて、自分の感情を、どうしたもんかなぁって、腕組みして外側からじっくり眺められるようになった、そのこと自体が、ちょっと前に進めた証のような気がしている。

 

 

自己肯定感が低いから「数字」に縋ってしまう

自己肯定感

昔は低かったですね、自己肯定感。いろんな場面で自分は駄目だと思ってたから、ブラック企業でパワハラされても最初は純然たる指導だと思っていました。

その低い自己肯定感が高くなってきたのはパートナーのおかげで、もちろん駄目なとこは指摘されるんですけれど、まるごとわたし自身を受け入れてくれているっていう感じがあって、それで自分で自分に「いいじゃん」「頑張ってるじゃん」って言えるようになってきました。数年前までは、時々不安になって「ねえ、わたし頑張ってる?」ってパートナーに聞いていたのもいい思い出。……思い出してみれば、ほんとに最近そういう聞き方しなくなったなぁ。やりがい搾取、成長信仰のグレー企業から脱出したせいもあるかも。よかったねぇ、じぶん。

 

人からの承認に縛られる

でも、自己肯定感の問題って根深いなぁと思う時があります。かなり自己肯定感を持てるようになってきたとはいえ、駄目な自分もまるごと受け入れて、生きてるだけで丸儲け的なポジティブシンキングにはとても至れていません。

どんな時にそれに気づくかというと、「数字」に縛られている自分に気づいた時。

営業の仕事を新卒の時からしてきたのですが、目標に達してない時は息をひそめるようにして生きているのに、目標額を達成したり、売上順位が上の方になったりすると急に傲慢な感じになりはじめます(笑)そして今まで思ってても言えなかった不満や愚痴が噴出します。わかってるから、なるべく出さないように気をつけてはいますが。自覚してなかった新卒三年目くらいの時は鼻持ちならないガキだっただろうと思います。

多分普段じぶんのこと駄目だと思ってるから、たまに誰からもわかる客観的な指標で「認められる」状態になると、過剰に「わたしはすごいんだ。だってこれだけの実績あるから!」ってそこにすがりつきたくなってしまうんだと思う。で、人に対しても、数字作れてない時は同じ平面にいるから、たとえば「書類の締切守った方がいいよね、あの人いつもやらないけどわたしはちゃんとやろう」くらいだったのが、売上が立つようになるとどうしても自分を高みにおいてしまって「数字も作れなくて書類の締切も守れない人ダメすぎない?」みたいに、見下しモード入ってしまって、かえってストレス溜めてしまうという。い、いかん…。こうして文字にしてみると嫌なやつ感がすごい…。気をつけねば…。

数字作れない人も、締切守れない人も、人間として悪い人じゃないって本当はわかってるのにね。一瞬の感情では、そんな風に思ってしまう。

 

自分を自分だというだけで好きになりたい

で、仕事できるとかできないとか自分の尺度で決めつけて上から目線で見てしまうことがある自分からも自由になりたいし、そう見ないように気をつけるところも継続してやっていきたいけど、一方で、もっと根本の、条件をつけなくても自分は生きていてもいいし発言してもいいんだって思えるようにすることもなんとかしてやっていけないかなぁと思っています。方法はよくわかんないのだけど。少なくとも数字よりかは、◯◯が今日できた、みたいなところに軸を持っていける方がよさそうな気がする。

数字を軸にしてるとどうしても高い低いに囚われて、ひとや自分の人間性に目が行かなくなってしまう。記号的に、高い=いいこと、偉いこと、低い=だめなこと、悪いこと、と捉えてしまいがちになる。それに、「いい数字」を上げ続けるためにずっと汲々としなければならなくなる。「数字」を指標にすることは、会社的価値観とそのフィールドでは必要なことだけど、それを「自分という人間」の指標にしちゃうと苦しくなるから、分けて考えられるようになりたい。

三十路に至ってもまだまだ、自分の扱い方は試行錯誤の途上です。機嫌よく日々を過ごせるようになっていきたいものです…。

わたしにとっての「アイドル」という存在と関わり方

今週のお題「私のアイドル」

 

今週のはてなブログのお題が「私のアイドル」で、「私の」って何!?どういうこと!?「私の」なんておこがましい…!って一瞬思ったのですが、そういえばファラオの墓見たとき高まりすぎて「俺のあゆみ…!」としか言わなくなってたな〜自分っていうのを思い出したので気負わずに書こうと思います。

 

石田亜佑美ちゃん

今のわたしの中で「アイドル」といえばモーニング娘。’18であり、推しの石田亜佑美ちゃんです。いつも元気をもらってるし、「好き」のパワーで生きていける。ありがとうございます。尊い。

石田亜佑美 写真集 『 shine more 』

石田亜佑美 写真集 『 shine more 』

 
It's a Beautiful Day(Blu-ray Disc)

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モーニング娘。'16 石田亜佑美 写真集 『 It's my turn 』

モーニング娘。'16 石田亜佑美 写真集 『 It's my turn 』

 

あのね、実を言うと、お顔立ちが好きなわけではないのです。だからリリウムでモーニング娘。を最初に見たときにすぐハマったわけではなかった。猫みたいな目が可愛いな、とか、透明感のある横顔や表情が綺麗だな、とか思うんですけど。顔の造作でいえば、juice=juiceのかなともさんとか、Berryz工房の夏焼雅ちゃんの方が好み。雅ちゃんはほんと理想的な顔と体。好きすぎる。

Berryz工房 夏焼雅 写真集 『 GLOW 』

Berryz工房 夏焼雅 写真集 『 GLOW 』

 

でも、じゃあなぜこんなにあゆみちゃんが大好きになってしまったのかといえば、もう、ぜんぶ?存在すべて???としか言いようがない。人間性とか、パフォーマンスとか、たたずまいとか。生きてるあゆみちゃんそのものが好き。その中でもとりわけ、モーニング娘。の中でキレキレダンスとカッコいい表情で魅せてくれるあゆみちゃんが好き。そんな感じ。

アイドルを好きになるとか、「わたしにとってのアイドルはこの人」って言えるような人を持つことって、わたしにとってはそういうこと。ミュージシャンのファンだったら、その人の作る音楽が好きとか、歌声が好き、だし、役者さんだったらこの人の演技が好き、なんだろうけど、未完成でも、ダメなところがあっても、その人自身を好きになって成長も含めて応援していくっていうことが、「アイドルとして好きになる」ってことだと思う。

(わたしにとっては若手俳優を推すという行為もアイドルを推すのとほぼ同じ。「これから成長するところとか苦手分野もあるけどそれでもこの人の全部が好き」と感じて出演する舞台全部見に行ったりDVDやグッズを集めてしまう状態ならば。だからたとえば、わたしにとっては藤原祐規さんも「わたしのアイドル」だった。植原卓也さんについてはちょっと関わり方とか好きになり方が違う気もするけど、まあ「わたしのアイドル」と言っても差し支えないとも思う)

もちろん、アイドルとして表現をしていて、わたしたちに見せているあゆみちゃんの姿しかわからないから、本当のあゆみちゃんがどんな子なのかは知りようがないのだけど。でも、「石田亜佑美」として世間に出ている姿全体が、好きです。

 

バースデーイベント

ところでこの前、初めてバースデーイベントというものに行ったのですよ。あゆみちゃんの。楽しいですね、バースデーイベントって。ゲストのみんなと「背が低い」ネタでキャッキャしてる姿とか、運動会で玉入れやパン食い競争して、跳ねたり飛んだり喜んだりしている姿とか、可愛い「ミニモニ」カバーやカッコいいソロパフォーマンス(「坊や」が特に好みだった…)…そういうくるくる変わる表情や身体の動きや話す言葉、声。いくら見てても見飽きなかったです。幸せ空間だった。小田ちゃんが、あゆみちゃんが一番真面目な話ができるって言っていたけど、誰よりもモーニング娘。のことを考えてるメンバーのひとりだってことが伝わってくるところも好きだなと思った。そりゃあね、カッコいい系の曲でバリバリ踊るあゆみちゃんが一番好きっていう、そういう好みの傾向とそれに伴う満足度の高い低いはあるんだけど、それでもあゆみちゃんという存在自体ががやっぱり好きだなと思わされたイベントでした。

 

でも接触は苦手

でも、アイドルに近寄るのが実はかなり怖いんです。昨年の、めせもあ。さん、ちょこぼさんたちのコンサート後の握手会は、まだ当時そんなに詳しく彼らを知らなかったことやノリで大丈夫だったのですが、その後モーニング娘。のアルバムのリリイベで握手したり今回のバースデーイベントであゆみちゃんがお見送りしてくれたのを経験して、やっぱり推してるアイドルの近くに行くのはかなりつらい、ということがわかりました。

だって、存在全部が好きだけど、彼女だってひとりの人間だとも思うから。疲れたり、この人嫌だなって思ったりすることも絶対あるから。自意識過剰だとしても、たった一瞬の接触でも、あゆみちゃんに悪い印象持たれたくない。負担もかけたくない。

接触したい気持ちがあるとすれば感謝や応援の気持ちを伝えたい、という気持ちなんだけど、それはお手紙書くとかブログやSNSにしたためるとか、直接会わなくても伝えられる。現場に行ったりDVDや写真集やグッズ買ったりすることでも、応援の気持ちは表現できるし。

だから、接触必ず行く人や好きな人ってすごいなと思うし、そういう応援の仕方もあるとは思うのだけど、わたしは接触しない方向でひっそりと応援していこう、と思っています。

 

そんなわけでわたしにとってアイドルとはなんなのかということと、あゆみちゃんへの愛をしたためてみました。よかったらこちらのブログもどうぞ。

もしご興味あるけどまだあんまりモーニング娘。の曲知らないなって方がいらっしゃれば、今回のアルバムがあまりに良いのでよかったら聴いてみてください。

15 Thank you, too(初回生産限定盤)(Blu-ray Disc付)

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15 Thank you,too(通常盤)

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ゆき!!!

我が家はふたりともアラサー(?)ですがお子ちゃまなので雪が降るととてもテンションが上がります。

わたしは仕事の帰り道、雪が沢山降っているのでワクワクしながらシュークリームを買って帰りました。帰宅して「ただいまー」と家の中に声をかけると、「おかえり!お散歩行く?」とワクワクした声が帰ってきたので、速攻で「行く!!」と答えました。部屋に入るとキツネさんもコンビニでお菓子を買ってきていました。思考回路がほぼ同じ。

キツネさんの作ってくれたごはんを食べつつ、ワインをふたりで飲んで、お菓子を食べて、それから夜の雪道をお散歩しました。

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もふもふの新雪踏むの楽しかった〜!!ゆきんこスタイルであったかそうな耳まである毛糸の帽子かぶってるキツネさん可愛かった〜!

明日のこととかなんにも考えずに目の前のことを一緒に楽しめるパートナーがいてよかったし、こういう日に帰りたい場所があるって幸せだなと思いました。

もし実家だったらきっと、雪楽しいって言ったら、何言ってんの、大変なだけじゃないって大人の良識ぶった答えが返ってきたに違いないから。雪にちょっとワクワクした顔をしていても大人とはこう答えるべき、みたいな答えをいつもする両親。生きづらいだろうなぁ。

原風景の話

この前ね、有明の方に行ったんです。新橋からゆりかもめに揺られて、一番後ろの席で、ずーっと、三十分くらい。
ゆりかもめの一番後ろの席って、一般的な電車の席みたいな右側と左側が対面する形の席じゃなくて、最後尾の大きな窓に向かい合うような席なんですよね。平日の夜、わざわざ新橋から海の方に行く人は少なくて、社内はほとんどが空席でした。それで、その最後尾の席にひとりで座ってみたんです。スマホの充電が少なすぎてスマホを眺めるわけにもいかず、左右と正面の窓から、外を眺めていました。

新橋駅からしばらく行くと、遠くに新橋のビル街がきらきらと光りながらそびえ立っているのが見えました。これが摩天楼というものか、と思いながら、どんどん小さくなるビル群を眺めていると、電車は倉庫街に入っていきます。海沿いには時々船が泊まっていますが人影は見えませんでした。
芝浦ふ頭からお台場海浜公園へと電車が向かう間、輝きに彩られたレインボーブリッジが視界の端から入り込んできました。ぽつりぽつりと間隔をあけて橋を彩るライトが綺麗で。それに見とれているうちに、ぐるっと海沿いを回るルートに乗って車体が回り、遠景にあった夜景が視界の端から徐々に映り込んで、最終的に右側の窓も正面の窓も左側も、ぐるっと輝きに取り囲まれるような景色になったんです。メリーゴーランドみたいだった。でも、綺麗、すごい、と思ったのもつかのま。すぐにシースルーのトンネルみたいな中に入ってしまい、また景色が変わっていきました。

 

そうやって綺麗な夜景を長い時間眺めながら思ったのは、これはわたしの原風景ではない、ということでした。
とても綺麗だと思う。でも、強く心を動かされはしない。
思い出の量のせいなのかなと思いました。
海沿いにずっと住んでいた方からしてみたらまた違う感想を持つのかもしれませんが。
混じりけない、ただの、「きれいだな」という感想。ただそれだけしか持てなくて。

 

わたしが心を動かされる原風景は、田んぼの中にうねりながら通っている用水路の小さな土手の上で、名もしれない若い色の雑草がぼうぼうと生えているのをかき分けながら飼い犬とどこまでもまっすぐ歩いていったときのあの景色。
喧嘩した幼なじみが通学路を自転車で猛然と走って行くのを追いかけたときの、雨上がりらしい複雑で透き通った色の空。
はじめて大晦日に近くの神社で年越しを迎えて、友達と喋りながら長い列に並んで除夜の鐘をついたら深夜二時くらいになってしまって、さえざえとした空気に肩を竦めながら両端が雑木林になっている坂道を駆け下りたときの、木と木の間に覗いていたたくさんの星。
そういうものたちで。

 

なんだかひとつひとつ思い出しては懐かしくなりました。
いつかまた、わたしが育ってきたような田園風景や雑木林の中で暮らしてみたい、と長いこと思っています。都会の賑やかさや文化や、いろんな楽しいものごとも好きだし、誰もわたしのことを気にしたりしないから、とても生きやすいんですけどね。現実的に、子どもの持てないわたしたちは、老後は都会の方が暮らしやすいだろうなと思うし。

 

でも、退屈だけど美しい田舎の景色の中で、また生きてみたいなぁ、なんて思います。若かった頃とはまた、見え方も違ってくるんだろうな…。恋人と暮らす、ちょっと田舎の一軒家が欲しいなぁ。

ピカレスクセブン感想(ネタバレあり)

ピカレスクセブン、観てきました。

年始早々、少年社中さんのピカレスクセブンを観てきました。キャストもセットも衣装も、少年社中二十周年にふさわしい豪華絢爛さだったと思います。………が、どうしても気になることがいくつかあって、心から楽しめなかった、というのが正直なところです。

 

改めて言いますが、役者さんは本当にとってもよかったです。
主演の宮崎秋人さんの身体能力やネアカさ、顔のあらゆる穴からすべての汁を出し切るくらいの体当たりの演技。鈴木勝吾さんの妖艶さ、殺陣の美しさ、苦悩の演技の巧みさ…。それらをさらに引き立てる演出と衣装とセット。
初めて演技を拝見した相馬さん、細貝さん、丸山さんはそれぞれに美しく個性的で、演技も達者。また別の機会に是非、演技を拝見したいものだと思いました。
ネバーランドを観ていた身としては、唐橋さんと鯛ちゃんと井俣さんのかけあいはほろっとくるものがありました。そして、唐橋さんと鯛ちゃんって舞台にいるとそれだけでちょっと嬉しくなっちゃうようなかわいらしさがあるんですよねえ。二人が舞台上に出てくるととても楽しい気持ちになりました。
ジャック役の佃井さんも美しいやらスタイル超絶良いやら殺陣もものすごい上手いやらで観ているのが楽しかったです。
そしていつもの社中さんのメンバーも相変わらず抜群の安定感で。特にファントム役の堀池さんは衣装と動きの美しさがわたしの性癖ドストライク。早くファントム出てこないかなあと思いながら見てしまいました。


でもね、でもどーーーしてもモヤモヤしちゃうんです。今日はそのモヤモヤについて書こうと思います。

 

ここで注意していただきたいのですが、ネタバレをもりもりするので、これから観劇される方は見ないでいただきたいなと思います。余計な先入観にもなってしまいますし。
フォロワーさんやこのブログの読者さんには、少年社中さんの舞台が好き!っていう方もたくさんいらっしゃると思います。そして、ピカレスクセブン、とてもよかった~~っていう人も。
そういう方は、ごめんなさい、今回は読まないでください。
ほら、自分が楽しいとか好きと思っているものでも、人の否定的な意見を見ると水を差されるような気持ちになること、あるじゃないですか。そういうふうに、思ってほしくないので。

 

ということで、ここからぶっちゃけたお話をいたします。

 

 

 


一番嫌だったことは女性の描き方

一言で言うと、マクベスとジャックの関係性が不快でした。とっても不愉快。理解できなかったししたくなかった。ここがひっかかってしまったから、最後までピカレスクセブンの世界観に没入して時を過ごせなかったし、終わった後も手放しで良かったと言えませんでした。
実はわたし、これまでは少年社中さんの作品や脚本・演出の毛利さんのこと、結構好きで信頼していたのですよね。(モマは合わなかったけど。)だからこそ、なんとか良い方向に受け取ろうと無意識にしていて、最初は「ちょっと違和感」くらいだったんですが、考えれば考えるほど、ああやっぱ嫌だなあと思ってしまいました。

 

まず、マクベスの言葉が、不愉快きわまりないんですよね。
最初、ジャックちゃんと会ったとき「女」と呼びます。ジャックちゃんという個を認めてませんね。もうここからね、嫌な予感がしたんですよ。そして、
「おまえ、男を知らないのか?」
「俺がお前を女にしてやる」
「おまえも裸になれば(娼婦と)同じ」
「なぜ女であることを拒む」
というクソ発言のオンパレード。
「女はすべて男とセックスしたがっている」「裸になればみんな男のおちんちんに平伏するものだ」「男とセックスしたがらない女なんていないはず」っていう思考が透けてみえる発言ですね。とっても不愉快。

 

そんな発言をしちゃうマクベスは、男として育てられ、「薄汚い女どもへの罰だ」と言って娼婦を殺しまくったジャックちゃんに対して、ドレスを着ているからという理由で、本性は「女」で、心の底では「女」であることを望んでいるという解釈をしています。だからいやがるジャックちゃんをレイプして、でもそれはジャックちゃんの望んでいたことだと言います。さらに「お前は女だ。だが薄汚くはない。お前は美しい」なんてことを言う。ああなんて不愉快なの。
わたしは女ですし女の格好をすることも好きですが、女の子とのセックスが好きです。そんな人を誤って(?)犯してしまったとしたら大変な悲劇ですね。そしてわたしという個人がバイセクシャルだということが少数派だという理由で度外視するとしても(個人的にはそういう考え方は大嫌いですが…)、女性が着飾ることは別に男に愛されたいからだけではありません。自分のために着飾ってるの。女の格好してたらみんな男に抱かれたがってると思ったら大間違いですから。

 

…まあ、不愉快ですが、ここまでは百万歩譲って許すとしましょう。だって「極悪人」設定ですから。レイプくらい屁でもないくらいの意識かもしれません。マクベスの生きてきた時代を考えても、女性に対する認識がそんなもんでも、ままあることでしょう。

 

でもね、驚くべきことに、ジャックちゃんはなぜかそんなマクベスを愛してしまうのです。最終的には、ジャックちゃんはマクベスの孤独を終わらせたいという理由で敵側に回ってジャックを殺そうとし(それが実際にマクベスの望みだった)、「地獄で待ってる」と言って死んでいきます。

男の理想を具現化したような女性像ですよね。無理矢理犯しても、最終的には愛してくれて、だれよりも自分のことを理解してくれる女。
ストーリー上は、ジャックは女性である自分を抑圧していて、だからこそ、マクベスとの関わりを通して抑圧された自分を解放していくっていうストーリーになっています。つじつまは合います。マクベスは誰も気付いてくれなかった本当の望みを叶えてくれたひと、という見方もできなくはない。
でも、レイプされてるんだよ?しかもめちゃくちゃいやがってたんだよ?マクベスは「快楽を感じてどう思った」的な事言ってますが、快楽感じられる????身体の防御反応でそういうことがあるかもしれないけど、だからといってそれで許しちゃうの?????って思います。
だからジャックちゃんの行動原理が最後までぴんとこなくて、全く感情移入できませんでした。
そしてこういう都合のいい女的なキャラクターとそれを犯した男との恋愛関係がなんか「美しい話」っぽく描かれるのがとっても嫌で、残念でした。

 

なんだかんだ、架空のお話だといっても、そのお話を作る人のものの見方や、考え方って反映されるものだと思うんです。そして、その人のものの見方や考え方に基づいて作られた世界が好きで、そこに浸りたいから、その演劇作品を見るんです。わたしは脚本家・演出家を見て演劇作品を選ぶ人間なので。
だから、毛利さんって普段女性のことこんな風に思ってるんだなあって思ってしまって。「女は結局のところ男に抱かれて、愛に生きることが幸せなんだろ」って。「女である自分を抑圧して生きること(=男に愛されないことや男とセックスできないこと)は不幸」だと思ってるんでしょって。
自覚的にはそう思っていないとしたって、そういう考え方が透けて見えてしまう世界に浸ることはわたしにとって不愉快なので、2回目を見たいとはまったく思いませんでした。
わたしはフェミニズムに救われてきた人間です。「男に選ばれない女は価値がない」とか「男に惹かれない女は普通じゃない」とか。そういう呪いから解き放ってくれたから。だからこそ、人の心を描く職業の人が、そういう「一般的な価値観」に苦しめられている人がいるってことに無自覚でいられるって、おめでたいなと思うし、「もうそんな人の描く物は見たくない」って思ってしまいます。これまでの少年社中さんの作品を見て、毛利さんの脚本好きだな~って思っていたからこそ、残念でなりません。


話の粗

さて、話は変わって、ストーリーについても、本音で言うと粗の目立つ話だなあと思いました。そして、人数が無駄に多くてわかりにくいな、と思いました。内容が良かったからではなく、わからなかったところを確認したかったから台本を買いました。
たとえば、そうりだいじんの存在一つとってもそうで。江戸時代に、自衛隊引き連れた総理大臣が来たら、どんなに個々のスキルが優れていたって、一瞬で敵陣を壊滅させられますよね。でも、そうりだいじんはとくに重要人物扱いもされておらず。イエミツ陣営もそんなに人死にが出ないっておかしいと思う…。
主人公のイエミツ本人の成長物語として見れば見られなくもないかな?と思ったりもしたのですが、後から語られるイエミツの思想としては「みんなを笑顔にしたい」であるのに反して、最初のシーンで、最初にイエヤスを呼び出して江戸が火の海になっても悲壮感がとっても薄かったのを思い出して、頭を抱えました。イエヤスが来て大変なことになっちゃったから、対抗できる悪人を呼び出して戦おう、オー!くらいのノリなのですよね。なんかへらへらしてるし。本当に「みんなを笑顔にしたい」と思ってる人がへらへらできる状況じゃないって……。
あとピピの存在もよくわからないですよね。ピピによる黄泉がえりの仕組みは考え出すとあれこれ「こういう場合はどうなんだろう?」っていう突っ込みどころが出てきて面倒くさいので考えるのをやめました。

 

というわけで、思想的に嫌いだ、と思う場面もありつつ、お話としても粗が大きかったことが理由で、わたしはピカレスクセブンをいいと思いませんでした。なんだか、昔好きだったものがそうじゃなくなることって悲しいなぁと思いました。

 

ではまた!

2018年の抱負など

本気になる

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あけましておめでとうございます。2018年の目標は、ただひとつ。「本気になれたな」と思える状態で一年を終えることです。
でも「本気」って、難しい。上限がない。自分が本気だと思ってても人から「あんたの本気ってそんなもんなの?」と言われることもあります。毎日毎日同じテンションでものごとに向かえるわけでもありません。
わたしの「本気」の定義は「自分で決めたことはやりきること」。だから「やると決めること」は厳選するし注意深く予定も立てる。できなかった場合のリカバリ策も、サポートしてくれるものや人や場所の力も考慮したいと思っています。

 

本気になりたいと思ったきっかけ

きっかけは、いくつかあるのですが、昨年観劇した「星屑バンプ」。劇中の台詞「本気でやってみろ。死なないから」が刺さり過ぎてしまって、9月に観劇してからずっとその言葉が頭の中をぐるぐるしていることが一番大きいです。

わたしは器用貧乏で多くのことは平均以上にできてきたほうだと思うのですが、一方で一芸に秀でるということはなかったし、夢中になってやりきれた経験も少ないんです。快楽に流され過ぎてしまう。そういう自分の傾向がわかっていたので、自ら厳しい環境に身を置いて本気にならざるを得ない状況にする、ということはこれまでやってきました。
でも、自分で自分をコントロールすることは、あまり得意でないままここまできてしまいました。
観劇やアイドルの応援を趣味にしていると、本当に一芸(多芸の場合もある)を磨き続けている方がきらっきら輝いているのを、月に何度も目にすることになるわけですよ。その努力が、ダイレクトに伝わってきてしまう。もう、羨ましくて。妬ましくて。こんなことを、芸能をお仕事にしている人に対して感じるのはおかしいかもしれませんが…。
昨年は日常生活の中でも、「この人はちゃんと自分が夢中になれることを見つけて大事にしていて、それを職業にまで結びつけていて羨ましい」っていうふうに思う機会がとても多かったんです。
そんな状況だったので、「死ぬ気でやってみろ。死なないから」が刺さってしまったのです。わたしは死ぬ気でなにかをやってみたことってあるだろうか、そうできたらいいのに、って本当に強く思いました。
だから、せっかくちゃんと学びたい分野にも出会えたことだし、今年は勉強に本気出してみることにしようと思っています。これまで後から振り返って「本気になれたな」と思えた時って例外なくそれをやっている時間が好きだなと思えて、夢中になれる時でした。でもそれでも、やり始める前までは億劫に思えることもあるので、やるべきことを週単位で決めて、まずはやり始めてしまうことが大事かなと思っています。やり始めてしまったら楽しくなることも多いですから。

 

 

優先順位を決める

「本気でやれたな」と思えるために、優先順位をつけて日々を過ごしていくようにしたいと思っています。
まず一番は資格を取るための勉強を最優先させます。資格の勉強期間が終わったらいくらでも遊んでいいから、それまでは最優先。
次に、運動。勉強してても体力と筋力をつけたいし、勉強をコンスタントにやっていく上で気分転換にもなるので運動は時々していきたい。
そして、ブログも含めた文章を書くこと。これは、優先順位を落としても諦めたくない。なので、時間は短く密度を濃くやっていきたい。文章の書き方や内容も変えていくつもり。観劇感想を中心に書いてきましたが、記録や感想記事は本数か分量を減らすかも。まだ方向性が決まっていないのですが、好きなブログの研究をしながら違う書き方にトライしてみたい気持ちがあります。
仕事以外の生活の中の割合でいうと、7対2対1とか、6対2対2くらいの割合を目指したい。

 

観劇は、優先順位を落とすつもりです。昨年は親切なフォロワーさんが観劇に誘ってくださったり、DVDを貸してくださったり、ごはんに誘ってくださったりしていたのですが、今年はちょっと付き合いが悪くなるかもしれません。ごめんなさい。いつも親切にしてくださって、そして、「一生に一度だよ!」と背中を押してくださって、本当に本当にありがとうございます。変わらず仲良くしたい気持ちはあるので、今年もよろしくお願いします!

 

今日はここまで。こんなこと言っておいて一年後にやっぱり本気になれなかったなあなんて思うのは恥ずかしいので、本当に頑張ります。ちなみに、昨年のはじめにやりたいこととして書いていた昔のブログを統合するといういやつは、早々に諦めました。文章がつたな過ぎて、全部書き直さないことには載せられないという状況でした…。コツコツやれば文章力というのも成長するものですね…。

 

ではまた!

今年のブログ記事振り返り

一年の終わりに。

こんばんは。もうほんとうにすぐに2017年が終わるんですね。今年も大変お世話になりました。

 

いま、思うところがあって、いろんな活動の優先順位や取り組みの姿勢、時間の使い方を組み替えようとしています。でも、どことなく不安があって、いまいち踏ん切りをつけられていません。多分、このブログとの関わり方も変えて行くと思います。

こんな宙ぶらりんな感じで年末年始を迎えるのは久しぶり。でも、きっと受け入れるのに時間がかかるんです。そのことだけ、やっと納得できました。なので、来月からはスケジュールの空白を増やすことだけを決めて、しばらくは立ち止まってゆらゆらしたいと思います。

 

さて、というわけで先のことはなんにも決めていませんが今年書いたブログの振り返りくらいはしておこうかなと思います。

 

キツネさんと私

今年は恋人とわたしの生活のことを書く記事を増やしてみました。惚気ばかりで気恥ずかしいのですが固定客になってくださっている何人かの方々は気に入ってくださっている様子で嬉しいです。

わたしと彼女の性格の違いに触れたこの記事をきっかけに彼女のことをブログやSNSで「キツネさん」と呼ぶことに決めました。

わたしとキツネさんの家事の分担について書いてみたこの記事も読み返してみたら我ながら割と面白かった。なんか書きながら反省会始まっちゃうところがわたしらしいなと。

そういえば今年の年末は、わたしとキツネさんはそれぞれ実家で過ごすことになりました。ですが、仕事納めを終えた翌日、二人で海を見に江ノ島に行きました。鎌倉方面にずーっと海を見ながら歩いていきながら、「今年の年末は実家で過ごすけど、お互い家族の呪縛が随分解けてきたよねぇ」なんて言いながら笑いました。キツネさんと、本当に堂々とパートナーと言える関係性になってきたなぁと思う今日この頃。

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推しブログ

舞台、アイドル現場関連ではこの記事が一番気に入っています。モーニング娘。における推し、石田亜佑美ちゃんに関するブログです。

あゆみちゃんを推すようになって人生に潤いが増えました。先日工藤遥ちゃんの卒業コンサートで見せた人間くささもとてもとても好き。あゆみちゃんのダンス、来年もたくさん見たいです。年始早々、あゆみちゃんのバースデーイベントに行きます。個人イベントは初参戦、かつ、一人参戦なのでとても緊張しています。生きて帰る…。

 

THE CONVOY

観劇趣味との付き合い方も来年は大きく変えていきたいと思っています。

今年一番良かった舞台でいうと、THE CONVOY SHOW 星屑バンプ。とてもとても沁みました。自分と向き合う機会にもなりました。結局4回も見た。 

そして、あゆみちゃんとコンボイに出会って、わたしはやっぱり踊れる人や踊る舞台が好きなんだなぁということを深く実感しているところです。踊りを仕事にしている人たちを見ていると、ひとりひとり、決して他人と同じではない唯一無二の自分の体と向き合いながら、真摯に自分にしかできない表現の仕方やお客さんの楽しませ方を模索していることが感じられて。舞台に立つその肉体を見ているだけでも涙が出てきそうになることがあります。

 

LGBT系の話題

LGBT系の話題ではこの記事を個人的には気に入っています。単純にLGBT系の話題として書いたわけではないのですが、「ミュージカル手紙」を見て、怒りと共にマイノリティを抑圧しようとする力と戦っていくことの大切さについて書きました。

そして、今年LGBT系でたくさん読まれた記事でいうとこれかなぁ。

今読むと冷静に分析しようとしすぎて少し鼻につきますね。でも、後半の、

だから『男同士で付き合ってどうなるんだ』の答えは『好きな人と一緒にいられて幸せな生活を送れると思います』ということに尽きると思うんですよね。先になにもないように見えたって恋愛していいし、それのどこがわるいの?余計なお世話、っていう感じです。

とか、

 「恋愛感情を誰に抱くかや人生の意味的な話は個人によって違うもんなので自分の価値観で判断するのはやめてください」っていうことを言いたいです。

という部分については今も同じ考え。いろんな性的指向やライフスタイルや価値観を持つ人がそれぞれに尊重される社会に、もっともっと近づいていきますように。

 

今年のブログ振り返りは以上です。

今年もありがとうございました!

来年もよろしくお願いします!

承認欲求の暴走

褒められたいからアピールする。もちろんわたしは頑張っているので、みんな予定通りに褒めてくれる。
でもそんなんじゃぜんぜん足りない。
また別の人にアピールする。またちょっとだけ褒めてもらえる。
でもそれでも足りない。不満顔でイライラする。
有名な人に突然わたしが書いているものが注目されて一躍時の人になったりしないかなーなんて妄想をする。もちろんそんなことが起こるわけはない。


最近毎日がそんな感じです。自分で自分を持て余しています。
例えば仕事では誰よりも早く目標達成見込みになってもう3月まではそんなに頑張らなくてもいいくらいの状態なのに、最後の一手がなかなか詰まりきらないんですよね。それで中途半端な状態だけど褒めて褒めて〜ってアピール。うざいってわかってます。わかってますよ。

 

褒められたい気持ちってなんなんだろう。なにを褒めてもらえたら嬉しいんだろう。数字よりプロセスについて褒めて欲しいのかもしれない、とは思う。でも、自分からアピールして褒めてもらったくせに、褒められたら褒められたで謙遜してそれをうまく受け止めきれないんですよね。めんどくさい女。

 

結局のところ、いつも最後まで頑張りきれない、完璧じゃない自分が疎ましくて、こんなんじゃダメだって思っていて、いつも自信がなくて不安だから、人からの承認ばかり求めてしまうのかな。自分で自分を褒められないから、ひとに褒められて安心したいのかも。

それで、なんかうまくいかなくて暴飲暴食してしまったり。

自分を大事にする、自分で自分を認めるってどうやったらいいんでしょう。お金をかけずに、そんなことができるのかな。

 

本当は、褒めてくれる人を大事にしたいし、ブログやSNSだってPVの伸びよりいつも読みにきてくれる大好きで尊敬する方の方を向いて書きたいし、いつもポジティブでいたいのに。元気がでない。

 

体調の問題もありそうなのでとにかく今日は寝ます。おやすみなさい。今はそちらをうまく向けていない、わたしやわたしの書く文章のことを好きでいてくれていつも褒めて励ましてくれる方々に、せめて良い夢を。

変わりたい気持ち

THE CONVOY SHOW asiapanを見て、旅に出たいなあという気持ちを強くしました。


最近もうあらゆることに納得がいかなくて常にイライラくさくさしていて。
生理前だからじゃないかとか時間に追われて仕事しているからじゃないかとか、ちょっと疲れてるんじゃないかとか。
だから少し我慢しよう、時期が来たらなんとかなるから、って思っていたのですけれど。

 

なんか違うかも!

 

たぶんね、見直すときに来てるんですよ。いろんなことを。
お金の使い方とか。時間の使い方とか。
夢と希望。楽しいことと楽しくないこと。
有意義なことと意味がなく思えること。
自分の好きなところと嫌いなこと。
できることとできないこと。

 

変化の兆しはいろんなところにあって。
仕事が急に面白くなって、ちょっと動いてみたら求めている方向に状況も変わって、今まで話さなかった人とも話すようになったと同時に、自分の頭の悪さや要領の悪さや至らなさに強烈に気付かされたり。
書くことが好きで表現したいのに、頭の中にぽっかりと空白ができてしまって、何も語ることがないような気持ちになることが多かったり。
夢中になれることを見つけて独立することを決めた先輩に対して強烈に嫉妬してしまったり。
同僚を馬鹿にしたり見下したりしている嫌な自分に、もともと気付いてたけど更にぐいっと気付かされたり。
やるって決めたことが全然できない自分にがっかりしてしまったり。

 

つまり、今までやってきたことだけじゃ、前に進めなくなってきたっていうこと。

 

どこかに旅に出たって駄目な自分やよわい自分が変わるわけじゃないってわかってるんですよ。楽園なんかどこにもないってこともわかってる。前職から離れるときに、国内と海外、それぞれひとり旅をして、よくよくわかったんです。
そういえば、asiapanでも「旅に出たからって自分が変わるわけじゃない」っていうことを噛み締めている登場人物がいましたね。

 

そして、旅に出ることで、「今進めていること」「やりたいこと」「やるべきこと」をいったんすべて止めないといけないとしたらそれもこわい。

 

それでもね…、それでも…。
いまは、自分で自分をごまかしたり、見ないふりしたりして、自分が感じていることもよくわかんなくなってきているから。
だから、旅に出て見たことのないものを見たり、感じたことのない風を感じたり、ぼんやりしたりしてみたい…。
なにか、なんでもいいから、いつもと違うことをしてみたい!じゃなきゃこのまま腐ってしまいそう!そんな気持ちです。

 

まとまりませんが、今日はここまで。
ではまた!