七転び八起き

観劇記録、ハロプロのこと。たまにLGBTとお仕事の話も。

母の呪縛と色恋の話

母との関係

わたしは高校生の頃、休日は友達と遊ばないって決めていました。遊ぶとしたら学校帰りにほんの少し。たまに休日に友達と遊ぶこともありましたけれど、母にそれを伝えるのはものすごく勇気が要りました。休日に出かけるのはお母さんがかわいそうって何故か思い込んでいたんです。出かけるなって一度だって言われたことがないのに。

母の顔色を伺うようになったのはいつからだったでしょうか。小学校中学年くらいの時に塾に行ってみる?って聞かれた時には、お母さんがいってほしいならいこうかなって思った気がします。その頃が最初かしら。よく覚えていません。

元々が激情家な母なので、しょっちゅう祖母や父と喧嘩してぷりぷりしていました。中学生くらいの年齢以降は、感じさせないように振舞ってはいましたけれど、親戚の借金問題やなにやらで母もかなり追い詰められていたんだと思います。取り立ての怖いおじさんが父の会社に来るくらいのおおごとでした。両親はよく、私たちが寝てからは喧嘩をしたり真剣な声で話し合いをしていました。

母からは、わたしも兄弟も、すごく期待をかけられていました。大きな問題がたくさんのしかかる中で私たち子供たちの存在は母にとっては寄る辺だったのかもしれません。母が辛そうにしている場面を見て、たくさんの期待を感じて、それでわたしにとってできることをしたいと思った結果が、休日はなるべく母のそばにいるという選択だったのかもしれません。

そんな母が怒るときの決め台詞は「もうご飯作ってあげない!」と「あなたになんかわたしの気持ちはわからない!」でした。わたしはその言葉を聞くと小さい子供にかえったように泣き叫びました。恨むような気持ちも持ったことがありました。

母はわたしたちにご飯を作ることをはじめとする家事を全くやらせず、手を出すと「そんなことやらなくていいから」と取り上げるんです。その癖「ご飯作ってあげない」なんて言うのはずるい、でも従わなかったら生きていけない、そう思ったり。こんなにわたしはお母さんのことを思って気を遣っているのに「気持ちがわかるはずない」なんて、そんなことを言うのか、じゃあどうすればいいのかと怒りとも悲しみともつかない感情が込み上げてきたり。

でも決まって母は、わたしを怒ったあと、父に「またあの子をいじめちゃった」と言って泣くんだそうです。それを父から聞かされるとわたしはもうなんにも言えなくなってしまいます。

そんなわけで高校生くらいまでの頃は、時々衝突はしつつも、できる限り母の機嫌を損ねず、期待に応え、いいこでいることを選んでいました。

 

今の彼女との出会い

でも今の彼女と出会う少し前くらいから母の呪縛から逃れて「いいこ」をやめようとする気持ちが起こり始めました。大学生になってたまには飲み会なんかが入るようになって、おっかなびっくりそういう場に出始めたら、意外にもそういうわたしの変化が母には「大学生らしくていいんじゃない」と捉えられていました。そうやって少しずつ自由を拡大していって。

それでも自分がバイセクシュアルであることに気づいて、一生子供を持つことがないかもしれないと真剣に思い悩みはじめてからは、これでは母の期待に応えられないと、泣きながらカウンセリングを受けることもありました。以前、母に「結婚したら地元で実家の近くに家を買って住む」って言って嬉し泣きされたりもしていたのでそれができないのが申し訳なくて…。今思えばほんとに「いいこちゃん」ですよね…。母の望みそうなことを先取りして口に出して言うっていう…。そう思うと高校選択も大学選択もそういう感じで決めてきたわ…。

こういう本もたくさん読みました。

母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き

母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き

 
脱常識の家族づくり (中公新書ラクレ)

脱常識の家族づくり (中公新書ラクレ)

 

さらに、今の彼女と出会って付き合い始めて、当時は遠距離恋愛でしたが、やっぱり月に1回は会いたいし、たまには旅行もしたいし、いずれは一緒に暮らしたいっていう気持ちが高まって、母に嘘をついて出かけるようになりました。それも、慣れてくれば徐々に罪悪感を感じなくなっていきました。

そして就活です。理系で周りが大学院に進む中、わたしは一人IT系のベンチャー企業に行くことにしました。そこしか受からなかったっていうのもあるんですけれど、もしバイセクシュアルとして女の子だけど女の子と付き合い続ける人生になるんだったら、理系として就職するのはリスクが高いって思ったんです。

文系職種と比べて理系職種は成果が出るまでに時間がかかるし、ポータブルスキルが身につくかわからない。そして地方拠点への配属が多い。それって会社依存の社会人人生になっちゃうんじゃないか?思ったより稼げないのでは?って思っていました。(稼げるかどうかでいうと今大企業の研究畑の理系女性で50代の方のお話とか聞くと、一社で長く勤めるならそっちの方が稼げるらしいと気づきましたが…)ベンチャー企業で若いうちから鍛えられて、転職しやすい業界か職種を選ぶ方がこれからの時代生き残りやすいし、もし彼女を養うみたいなことになってもなんとかなるんじゃないかと思ったんです。

そして初めて、母に反抗しました。せっかく理系に行ったのに、院にはいかないし、大企業にもいかない、公務員にもならない、何故か中小企業の営業になると言うわたしに母は泣いたり怒ったりしてなんとか気持ちを変えようとしてきました。でもわたしは決意を曲げませんでした。初めて自分で自分の人生を選んだんです。今振り返ってみると誇らしい気持ちになります。

そして、母の望みに沿わなかったかわりに、中小企業に就職することで転勤もない人生を送ることになったので、せめて年末年始とお盆は実家で過ごし、クリスマスにはプレゼントを送り、二ヶ月か三ヶ月に一度は実家に顔を見せることにしました。

ちなみにその後は自分で自分の人生を決めることがだんだん容易になってきて、母には何度も泣かれています。一人暮らしを始めると決めたとき、彼女と同棲(実家に対しては友達とルームシェアと言ってある)を始めたとき、転職したとき。その度大喧嘩しては傷ついて泣いて、でも自分の思いを通してきました。独り立ちできるだけのお金を自分で稼いでいるっていうことは、大いに自分らしい人生を選択をするときの力になりました。そして面倒なことになるとわかっているので今回の転職のことは実家には内緒にしています。そんなたくましさも身についてきました。てへ。

 

今年の年末年始

でも欲とは尽きないもので、イベントごとのある時はなるべく実家に帰ると決めていても、彼女とクリスマスを一緒に過ごしたいとか一緒に年越しをしたいとかやっぱり思ってしまうんですよね。数年前からクリスマス当日が平日であることをいいことに、クリスマスに実家に帰るのをこっそりやめました。そしてクリスマスが休日と重なっている今年もちゃっかり、クリスマスは彼女と過ごしています。

つい最近、年越しを彼女とするのか実家で過ごすのかという問題で彼女と大喧嘩しましたが結局年越しは彼女とすることに決めました。今日それをラインで母に伝えました。反応がどうかえってくるのかドキドキします。でももう決めたことなので揺るがない…ように…頑張ります…(ちょっと自信ない)少し前にこの問題で悩んでいたら友人にあなたがどうしたいかじゃない?って言われていたんですけれど正直わたしが心から年末を実家で過ごしたいのか、母がかわいそうだから実家で過ごしたいのか、わかんなくなっちゃってたんですよねー。今でもよくわからない。でもいろいろ考えて、勢いで決めました。こういうのは思い切りが大事。きっと。

思えば色恋のパワーというのはものすごいものです。わたしの人生の最初の辺りを作ってきた親との関係を見直させるほどのパワーがあるんですもんね。

それは誰もが通る道だし、親によって人生の選択肢を狭められて、いつしか親を恨んだり人生の不幸を親のせいにするようになるより、喧嘩しながらも自由を勝ち取って行くことの方がただしいような気がしています。

そして近い将来、いつか、カミングアウトをしたいとも思っています。嘘をついたり様子をうかがったり、隠し事をしてうわべだけの会話をするのも、それはそれで平和なんですけれど、やっぱりすこし疲れます。向こうもわたしが30代を越えれば結婚とか出産とか、まだしないの?って言いたくなってくるでしょうし。わたしはわたしの生きたいように生きます、育ててくれてありがとう、今とても幸せですっていつか言えたらいいな…。それで縁を切られることもあるかもしれませんけれど…。

年末に重た〜い話を投下してすみません!読んでくださってありがとうございました!