七転び八起き

観劇記録、ハロプロのこと。たまにLGBTとお仕事の話も。

呼称が定まることによってこぼれ落ちるもの

ブラック企業から転職して半年と少しが経ちました

もう半年以上経つんだなぁと、ぼんやり思います。まだまだ、前の会社のことを思い出すことがあります。意外と縁が切れないもので、思い出させられる人間関係もいくつか続いていたりもして。でも一方で、すっかり今の会社の住人になったような気持ちもあったりして。

そして半年も経って、未だに前の会社を「ブラック企業」ということに躊躇いがあります。いや、言うんですけどね。わかりやすいし伝わりやすいから。でも、言いながら、後ろめたいような気持ちがわきおこります。

世間では電通事件があったと思いきや、三菱電機も違法残業で書類送検されるとか。そんなニュースを見ながら、やっぱり同じように、電通や三菱電機は「ブラック企業」と言われるだろうけれども…とモヤモヤした気持ちを感じています。

わたしがいた会社も、こういう事件の起こった会社も、世間では等しく「ブラック企業」と言われるでしょう。違法な部分や、従業員に理不尽に負担を強いている部分は、間違いなく、変わるべきです。「ブラック企業」という言葉は、そういった「よくない」部分を見える化するために大いに必要だったと思います。

それでも、この会社で成長した人も救われた人も、いるはずで。取引先や商品を使う一般消費者に、この会社が素晴らしい価値を提供してきた事実もあるはずで。そのことを忘れないでいたいと思うんです。ただし、「素晴らしい価値を提供してきた」ことが違法性を弁護することに使われたり、体質改善をしない言い訳になることは、絶対あってはならないとは思っています。

 

LGBTという言葉も同じ

わたしはLGBTという言葉にも同じモヤモヤを感じます。使いますけどね。ガンガンと。2016年、LGBTという呼称がマスメディアでたくさん使われるようになったおかげで、わたしたちは徐々に見える存在になってきました。

でも、LGBTと呼ぶことでこぼれ落ちることもたくさんあって。ほんとはLとGとBとTは全然違うし、Lの中にもいろんなグラデーションがあったり、カテゴリ間を行ったり来たりもします。LGBTにおさまらない多様なあり方も存在します。それを知っているからこそ、使われ方を見てモヤモヤすることも多々あります。

多分あらゆる定義づけや呼称でそういうことって起こっているんですよね。「障害者」「在日」「女性管理職」「フェミニスト」「オタク」などなど。ほんとうにたくさん。

 

わたしのスタンス

わたしはそういう呼称を使うことに無感覚になってしまうことが怖いんです。例えば前の会社のことをブラック企業と呼んでいたらブラックな面しかなかったようにいつか思ってしまうような気がして、怖い。もらったものもたくさんたくさんあるのに。そこにいる人全てが悪意を持っていたわけではないのに。だからカテゴリに関する言葉を使う時の躊躇いやモヤモヤを、忘れずにいたい。

でも時々、呼称を聞いてわかったつもりになったり、無遠慮に共感しそうになってしまいます。わたし自身、昔残業代請求をした時に相談した方から「ハイ、それ違法です」「ブラックですねー」って断じられた時に嫌な気持ちになったのに。LGBTの人ってこうですよねーって言われた時に「あなたになにがわかるの」って思ったこともあるのに。自分でそういう言葉を使う時には、無感覚になっていることが、怖い。

少なくとも、カテゴリの話がカテゴリに当てはまる当事者の方から出てきた時は、自分で判断しすぎてしまわないように丁寧に話を聞かなければって思います。多分みんな「カテゴリ」に共感してほしいわけじゃなくって「ただ一人の、他の誰でもない、わたし」の話に共感してほしいんだと思うので。ブログを書く時にもそう。そこに無感覚なまま書いてしまうと、気づかないところで誰かを傷つける文章を書いていることもありそう。

 

わたしは冷たいとか人の気持ちに興味がないとか時々言われますけれど、それでも、人の気持ちをわかろうとする人でありたいなと思います。