七転び八起き

観劇記録、ハロプロのこと。たまにLGBTとお仕事の話も。

大人の自分を取り戻す

自分が子供のままでいるかのような気持ち

実家にいると自分が子供に戻ってしまうような気がする。過保護が板についた母はすべての家事をわたしの気づかないうちに済ませてしまう。手伝おうという気持ちもだんだんに起こらなくなる。そうしてわたしはソファでごろごろしながらひたすら本を読む子供時代に戻ってゆく。

これはこれで、楽なのだ。とても。でも、良くないことだなと思う。子供に戻るということは自分の主権を失うということだ。自由を失うということだ。すべてのケアを母がしてくれる代わりにわたしはわたしの自由を差し出す。多分そういう無言のうちの契約だったのだ。だから実家に帰るたび、楽さを感じる一方で、籠の中の鳥になったような気持ちになる。

籠の中の鳥なのに母の望むように生きられず、従兄弟たちのように結婚して子供をつくっていない自分に対して、前に進めてないような錯覚を抱いてしまう。

そんなこと全然ないのに!家を出てからの5年間でわたしが得たものってたくさんたくさんあったはずなのに!

 

なんだかんだ家族のことは好きだからこその距離感

 昨日も、すきま風家族でいい、っていう記事を書いた。今日もその言葉を噛み締めながら恋人とわたしの家に帰る。わたしが自分らしくあるために、家族との距離を置く。月に1回帰るか帰らないかの距離感が多分ちょうどいい。わたしは家族も大事だけど、一方でわたしの築いてきたものや、わたしの自由や、わたしの好きなものを失いたくないから、東京の家に帰るのだ。

今回の帰省の主な目的は、いろいろあってひどく精神的に疲れている様子の母の愚痴を聞いてあげることだった。まあでもわたしがいなければいないで母は、父や祖母や親戚や、それなりに周りの資源を頼って、怒りや疲れをなんとか処理していたみたいで思いのほか元気だった。安心した。またしばらく放っておいても大丈夫だろう。わたしがいなくてもなんとかなるっていうのがわかったのは、今回の帰省の一つの収穫だった。多少「あら、お久しぶりですね」くらいの嫌味言われたりしても、なんてことない。わたしはわたしの人生を優先してもいいんだ、と思った。

そうしてわたしはハロプロを聴きながら電車に揺られて、恋人との大好きな我が家に帰る。わたしの日常を取り戻して、大人のわたしに戻ってゆく。仕事をバリバリがんばって、お客さんの役に立って、ハロプロを聴きながら前を向いて、大事な大事な恋人との時間を過ごして、自立して生きていくんだ。そんなことを思った。

 

明日はひとりでたくさん試験勉強、そして明後日からはまたお仕事!がんばるぞ!

 

 ではまた!

 

 (昨日に引き続き、家族関係に悩んでいた時に読んだ本たち。ご参考まで。↓)

母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き

母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き

 
さよなら、お母さん: 墓守娘が決断する時

さよなら、お母さん: 墓守娘が決断する時

 
母がしんどい

母がしんどい