七転び八起き

観劇記録、ハロプロのこと。たまにLGBTとお仕事の話も。

自己肯定感が低いから「数字」に縋ってしまう

自己肯定感

昔は低かったですね、自己肯定感。いろんな場面で自分は駄目だと思ってたから、ブラック企業でパワハラされても最初は純然たる指導だと思っていました。

その低い自己肯定感が高くなってきたのはパートナーのおかげで、もちろん駄目なとこは指摘されるんですけれど、まるごとわたし自身を受け入れてくれているっていう感じがあって、それで自分で自分に「いいじゃん」「頑張ってるじゃん」って言えるようになってきました。数年前までは、時々不安になって「ねえ、わたし頑張ってる?」ってパートナーに聞いていたのもいい思い出。……思い出してみれば、ほんとに最近そういう聞き方しなくなったなぁ。やりがい搾取、成長信仰のグレー企業から脱出したせいもあるかも。よかったねぇ、じぶん。

 

人からの承認に縛られる

でも、自己肯定感の問題って根深いなぁと思う時があります。かなり自己肯定感を持てるようになってきたとはいえ、駄目な自分もまるごと受け入れて、生きてるだけで丸儲け的なポジティブシンキングにはとても至れていません。

どんな時にそれに気づくかというと、「数字」に縛られている自分に気づいた時。

営業の仕事を新卒の時からしてきたのですが、目標に達してない時は息をひそめるようにして生きているのに、目標額を達成したり、売上順位が上の方になったりすると急に傲慢な感じになりはじめます(笑)そして今まで思ってても言えなかった不満や愚痴が噴出します。わかってるから、なるべく出さないように気をつけてはいますが。自覚してなかった新卒三年目くらいの時は鼻持ちならないガキだっただろうと思います。

多分普段じぶんのこと駄目だと思ってるから、たまに誰からもわかる客観的な指標で「認められる」状態になると、過剰に「わたしはすごいんだ。だってこれだけの実績あるから!」ってそこにすがりつきたくなってしまうんだと思う。で、人に対しても、数字作れてない時は同じ平面にいるから、たとえば「書類の締切守った方がいいよね、あの人いつもやらないけどわたしはちゃんとやろう」くらいだったのが、売上が立つようになるとどうしても自分を高みにおいてしまって「数字も作れなくて書類の締切も守れない人ダメすぎない?」みたいに、見下しモード入ってしまって、かえってストレス溜めてしまうという。い、いかん…。こうして文字にしてみると嫌なやつ感がすごい…。気をつけねば…。

数字作れない人も、締切守れない人も、人間として悪い人じゃないって本当はわかってるのにね。一瞬の感情では、そんな風に思ってしまう。

 

自分を自分だというだけで好きになりたい

で、仕事できるとかできないとか自分の尺度で決めつけて上から目線で見てしまうことがある自分からも自由になりたいし、そう見ないように気をつけるところも継続してやっていきたいけど、一方で、もっと根本の、条件をつけなくても自分は生きていてもいいし発言してもいいんだって思えるようにすることもなんとかしてやっていけないかなぁと思っています。方法はよくわかんないのだけど。少なくとも数字よりかは、◯◯が今日できた、みたいなところに軸を持っていける方がよさそうな気がする。

数字を軸にしてるとどうしても高い低いに囚われて、ひとや自分の人間性に目が行かなくなってしまう。記号的に、高い=いいこと、偉いこと、低い=だめなこと、悪いこと、と捉えてしまいがちになる。それに、「いい数字」を上げ続けるためにずっと汲々としなければならなくなる。「数字」を指標にすることは、会社的価値観とそのフィールドでは必要なことだけど、それを「自分という人間」の指標にしちゃうと苦しくなるから、分けて考えられるようになりたい。

三十路に至ってもまだまだ、自分の扱い方は試行錯誤の途上です。機嫌よく日々を過ごせるようになっていきたいものです…。