七転び八起き

ハロプロと観劇と、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活のこと。

傷付いた記憶との距離

カレンダーを見ていて、もう二年も経つんだなあとふと思った。前職でひどく傷つけられて辞めることを決意したあのころから。
最近、その会社にいたころのことをよく思い出す。去年もこの時期にナーバスになっていたから時期的なものなのかな。なぜかその会社の最初の上司のイメージがふと脳裏によぎったり、取引先の会社にその上司と同姓同名の方が着任されたり、その上司が通勤で使う電車に乗っていたら、そっくりな人を見かけたりした。有り体に言えば、その影に怯えていた。そんなとき、その上司とのやりとりを書き留めていたメモを、たまたま、べつの捜し物をしていて、見つけてしまって、怖い物見たさで覗いた。そして、忘れていた出来事を思い出した。

 

退職する一年とすこし前。
従業員数が二桁ぎりぎりしかいないその小さな会社では、四半期に一度全社会議がある。そこでわたしは泣き出してしまった。
なんで泣いてしまったのかは覚えていない。
その会社では「詰める」という文化があって、営業会社ではありがちなことなのだけれど、目標数字に売り上げが達しない場合、その理由を厳しく問い詰められる。
言い方は決してきつくなかった、はず。でも、わたしは経営陣からの質問に答えられなくて泣き出してしまった。
気が強い方で、たとえば受験の時、塾のめちゃくちゃ怖いと有名な先生に怒られてもクラスで唯一泣かなかった。そんなわたしが。あり得ない、と思ったけれど涙が溢れて喋れなくなってしまった。


わたしは、その場を逃げ出した。

 

ちいさい会社だったから、トイレに逃げても会議室に声が聞こえてしまう。だからエレベーターで階下に降りて、会社の前で泣いた。
泣いても泣いてもいくらでも涙は溢れてきた。
大の大人が、嗚咽を上げて路上で泣くことが恥ずかしくて、嫌で、早く泣き止みたかったのにどうにもならなくて、長いことそこで泣いていた。

 

今思えば、そこに至るまでにかなり精神的に追い詰められていたのだと思う。やったことのない新規営業。それだけでもストレスのかかることなのに、いかにわたしが気遣いができず愚鈍で、一般的な意味での「営業」を学んでこなかったのか、いかに怖がりで度胸がないのかを、突きつけ続けられる日々だった。ふつうに、新規営業は向いていなかったと思う。でも、だからこそ、新卒と同じ気持ちで頑張ろうとした。上司からは、逐一行動をチェックされ、ちょっとでもできてないところが見つかると「だからお前はダメなんだよ」と言われつつ、一方で「俺がお前を三年で一人前にしてやるからついてこい」とも言われていた。「ここで頑張れなかったらどこでもやっていけない。肉体労働でもすればいい」と半笑いで脅かされていた。「わたし、なにもできなかったことにこの会社に入って気づきました」と呆然と呟いたら「知ってたよ。面接の時、あ、この女の子何にもできないんだなって思ったもん」と言われたこともあった。それでも採用してもらったことに感謝しつつ「やっぱりそうなんだ。わたしが人並みに仕事ができるなんて幻想だったんだ」と崖から突き落とされたような気持ちで思った。ミスをひとつもしてはいけないし上司の細かい指示も一つ残らず全て次の週の会議までにやらないとまた「だからお前はダメなんだよ」と言われてしまう。必死だった。


そういう、つらいとか苦しいとか、単純な言葉にできない思いが積み重なって、会議の場で涙の形として出てきてしまったんだと思う。その後、なんとかかんとか、しゃべれるくらいには泣き止んで、会社に戻った。もう会議は終わっていた。当然ながら、上司に呼び出された。
「要望が二つある」と上司は言った。

 

ひとつめ、謝ること。ふたつめ、「わかりません」って言わないこと。

 

確かに、同僚全員に心配をかけたと思った。だから、謝ることについては素直にはいと言った。「わかりません」については、どういうことか詳しく教えてください、と質問した。「わかりません」は拒絶の言葉だから、それを言うな、もうちょっと考えろ、と言っていた。たぶん、わたしが泣いて飛び出す前に「わかりません」って言ったのだと思う。泣きすぎて頭がぼおっとしていてよくわからなかったけれど、それもそうかもしれない、と思って「はい」と言った。

 

そこからすこし上司と会話した。
「プライベートには踏み込まない。でもちゃんと切り替えて仕事して」「感情的になるのは別にいいよ、女だし。生理もあるし」
そんなことを言われた。今思えば厭な言葉だったなと思う。彼の女性観がにじみ出ている言葉だった。そういえばこの人は営業活動を性行為やナンパに喩える癖もあったし、奥さんがいるのに堂々と女性を口説く姿もよく見た。営業のセンスをつけるために「ナンパしてみろ」と言われることもあった。女性と付き合っているとカミングアウトしてからは、「お前女もいけるのか。じゃあ今度キャバクラ連れて行ってやるよ。営業の勉強になるから」と言われたこともあった。でもその時は、嫌な気持ちにはなったけど、疲れすぎていてそれを言語化できなかった。

 

感情を抑制できなくなってしまった原因についても少し会話した。わたしは、頑張る気力が起こらない、疲れているのかも、と言った。精神的にも肉体的にも。
そのことについて少し話し合ったあと、冷静になるために、数日おやすみをもらうことになった。最後に上司は、「腹を決めてほしい。無駄だから。次の環境に早く進む方が成長できるかもしれないしお互い不幸じゃない」と言われた。
今思えばそれは、退職勧奨だったしマネジメントの放棄の言葉だった。
その頃のわたしは明確にはそう認識していなかったけれど。わたしには「腹を決めてやりなおします」という言葉しか残されていないように思えた。それ以外の答えをいうことは自分がダメな存在であることを決定的に認めることだった。転落人生の第一歩のようにも思えた。また次の会社でもその次の会社でも同じことが起こって、何社も渡り歩いて、やりたい仕事なんてなにひとつできなくなって、しまいには職も失うんじゃないかというイメージが湧いて、虚無を覗き込むような気持ちになった。

 

その頃、よく「死にたい」と口にしていた。彼女の前だけで。最初は冗談のつもりだったけれどそういう言葉のチョイスをしてしまうこと自体、多分心がおかしくなりかけていたってことだったんだと思う。その頃の癖が今も残ってしまっていて、つらくて苦しいけどうまく言葉にならない時、ついつい頭の中で「死にたい」って呟いてしまう。

 

本当は、この事件のこと、忘れていた。あのメモを見つけなかったらずっと忘れたままだったかも。防御反応みたいなものなんだと思う。昔もね、多分いじめっぽいことがあって、泣いて家に帰って両親にびっくりされたことがあったらしいのだけど、その事実自体をすっかり忘れていて、あとから両親に言われて、じわじわ思い出したことがあった。その時と一緒。

でもね、忘れてはいたんだけど、感情の面でケリはつけられていなかったんだと思う。その上司や、その次の上司や、その会社のこと、二年経った今でもほとんど毎日思い出している。さすがに、感情を伴うことは少なくなったけど。ふとした瞬間にその会社で言われたことや、学んだことを思い出すし、今の会社の人や環境と比べている。正直言って、その会社で力がついたのも事実で。それでも、わだかまって解けない思いもある。

 

三年経っても四年経っても、十年経っても、毎日毎日思い出すってことは、さすがにないと思いたい。でも、たぶんこの記憶とは一生付き合っていかなきゃいけないんだろう。

つらいことも嬉しいことも、悲しいことも素敵なことも、その全てが今のわたしを形作っている。なんの解決にもなってないけど、ただそう思った。一年前のブログとか読み返すと、なんとか早く区切りをつけなきゃ、総括しなきゃって思ってる感じがするんだけど、最近はそうは思わなくなった。

ただそうやって諦めて、自分の感情を、どうしたもんかなぁって、腕組みして外側からじっくり眺められるようになった、そのこと自体が、ちょっと前に進めた証のような気がしている。