七転び八起き

ハロプロと観劇と、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活のこと。

ほんとうのわたし、とかいう戯言。

このところ、「こちら側」のわたし、つまり、「スイ」としてのわたしの方が、本来的な自分に近いような気になっている。

本名の「○○○○」としてのわたしは、偽りのわたし。そんな気がしてしまっている。

あるふたりの夫婦から生まれて、きょうだいがいて、地元では「○○さんちのできのいい長女」として知られている私と、いまのわたしが、どんどん乖離してゆく。2回目の転職をしたことも、同性の恋人がいることも、実家の家族は知らない。

アイドルや舞台が好きなことも、話したことはあるけど多分インプットされていない。ひとは自分の見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞く。

わたしも、敢えて実家でそういうことを話さない。なるべく親やきょうだいの話を聞くようにして、わたし自身は透明にしておく。

実家だけじゃなくて、職場でもそういうことが起きているし、たとえば美容院とか、そういう場所でも。

おとなになるってそういうことなのかもしれない。じぶんというものの、切れ端を、場所によって使い分けて、そつなく生きてゆくのが。でもおそらくあんまり器用じゃないので、自分自身が混乱してくる。頭ではどのわたしもわたし自身だとわかってるんだけど、感覚で、わからなくなってくる。今話してるわたしは、どの立場のわたしなのか?みたいな。

親だきょうだいだ親戚だと言っても結局は他人だし、わたしよりもずっと早く死んでしまう。だから、なにも言わなくたってさ、構わないはずなの。自分が傷つかずに生活を豊かにして、幸せにしている方が大切なはずで。赤の他人ならもっとそう、なはずで。

でも、そうは思っても、さみしいとか、いつだって自分自身でありたいとか、じぶんの話をしたいとか、思ってしまうのはなんでなんだろうね。もうなんか、距離感はかって話題選んで、場合分けして生きるの、疲れたなーとか、思わなくもない。

じゃあ逆にスイとしての自分を生きられたらいいのか?って言われるとそれはそれで、自分が本名の「○○○○」であると信じて疑わなかった頃に見た綺麗な風景とか、思い出とか、そういうものをなくしてしまうのもつらいし、本名の「○○○○」としてやってる仕事とか、人間関係とかで、誇れることももちろんあって。

どんな隠し事があったっていい、好きなものを守れるなら。そう思って生きてきたけどさ。それでぼんやりと苦しいってことは、次のフェーズが、じつはもう目の前に来ているのかも。

……なーんて、ただの混乱した戯言。