七転び八起き

ハロプロと観劇と、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活のこと。

勝間和代さんの勇気に感謝(バイセクシュアル当事者のひとりとして。)

勝間和代さんのカミングアウト

勝間和代さんが増原裕子さんと同棲されていることを公表した。最初ものっすごくびっくりして、でもそのあと嬉しくなった。(「びっくり」は、え!?そことそこくっついちゃうの!?どこで知り合ってどうなったの!?という野次馬的なやつ。)お写真も、二人ともすごく幸せそうで、見ていて幸せな気持ちになった。

 

自身がバイである身として思うこと

バイであり長年お付き合いしている同性のパートナーわたし自身、このカミングアウトはほんとうに画期的で、ありがたいことと感じている。それはなぜかというと勝間さんがかつて男性と結婚していてお子さんもいる方だったから。そして、言葉として「わたしはバイです(または、パンセクです)」という形ではなく「わたしは今この女性と一緒に暮らしています」という表現で公表してくれたから。これまで日本で、ここまで一般に影響力ある方で、こういう形のカミングアウトってなかったんじゃないかなぁ。

時々このブログでも言ってきたけど、バイやパンセクは異性愛者に擬態しやすい代わりにゲイやビアンとは違う困りごとがあると思ってる。

例えば、過去に異性と付き合ったことがあるから恋人や恋人候補から「どうせいつか異性と結婚するんでしょ」と思われる。親兄弟からも「なんで?今まで普通に彼氏(彼女)いたじゃん」「洗脳されてるのでは?」などと思われてカミングアウトしにくい。人から「本当のあなたはレズビアンなのよ」(その逆も然り)とか言われることもある。「本当の」ってなんだよ。じゃあ今まで好きになったり付き合ったりした人に対する感情は嘘だったって言いたいの?と怒りがわく。

コミュニティだって、ゲイのコミュニティ、ビアンのコミュニティでバイOKのところはあるけど、バイやパンセクのコミュニティは聞いたことがない。ましてや、お子さんがいるとなれば理解のない人から「子供がかわいそう」とか余計な一言を言われることもあるだろう。

だから、勝間さんみたいな人が女性とパートナーとして暮らしていることをカミングアウトしてくれることは、本当に本当にありがたい。言葉で説明することに加えて、ほら、あの人もそうじゃん?と実例を示せることのインパクトはとても大きい。

そして、「女性と一緒に暮らしています」というカミングアウトの仕方はとても素晴らしいと思う。人間誰しも、人をカテゴリーに当てはめて安心したがるもので。そういう人に接すると、カテゴリーに当てはまらない自分のことを、「おかしいのでは?」と思ってしまうことがある。でも、本当は性的指向はグラデーションだから、カテゴリーに当てはまりきらない人だっている。だからバイだパンセクだと言いたい人は言えばいいし、その呼び名がしっくりこない人は言わなくてもいい。その人のありのままの事実を受け入れればそれでいい。そのことを、改めて伝えてくれたような気がして、なんだか嬉しい。

 

個人的なことを隠すことの辛さ

そして、カミングアウトをしてくれた記事の内容も本当に共感することばかりだった。よく世間では、そんな個人的なことわざわざ言わなくてもいいじゃん、と言われる。でも、言う必要やっぱりあるよ、ということをしっかりと表現してくれた。記事にはこう書かれている。

同性を愛しているということ、一緒に暮らしているということを秘密にするのは大変な作業だ。写真をアップしないだけでは止まらない。

勝間の仕事場でもある家に人が来るときには、増原は隠れなければいけなかった。二人で食事をするときも、交際がバレるのではないかと気を使う。

そして、それぞれの分野で公に活動する二人が交際していることは、遅かれ早かれ、気づかれる可能性が高い。

増原の紹介で知り合ったLGBT当事者たちは、堂々と自分らしく生きていた。その姿が眩しかった。

「いつまでも黙っていたら、友達に紹介もできない。旅行にもいけない」


それは、自由に、自分らしく生きられないということだ。カミング・アウトして、自由に、自分らしく生きる。愛する人と一緒に。

本当にそうなんだよ。本当に…。一緒に暮らしている人のことを隠さないといけないことって、とてもストレスだし、不便だし、大変なことなんだ…。有名人同士の二人だから、余計に不便が大きいのだけど、そうでない一般のわたしたちでも。

会社では一人暮らししてるふりをしなきゃいけない、旅行に行っても親にお土産を買って帰れない(誰と行ったのって絶対に聞かれるし友達と誤魔化すのも面倒)、お揃いの指輪を買っても薬指にはつけられない、一定の年齢を超えたら「ルームシェア」と言うにも無理がある、などなど。

もし万が一、パートナーが倒れたら、事故にあったら、亡くなってしまったら…。同性婚のできない日本では法的な保証もないし、だからこそ、例えばどちらかになにかあったときのために周囲を頼らなきゃいけないのに、カミングアウトしていなければそのサポートも得られない。

お子さんがいる場合は、もっといろいろな場面で大変なことがあるだろう。

「誰が誰とセックスするか」だけの話じゃ、全然ない。どう生きていくかという話だ。生きていく上で、カミングアウトしないでいることは、ひどいハンデを背負うことになる、だからカミングアウトするんだ。そこをハッキリさせてくれたという意味でも、この記事が出て本当に良かったと思っている。

 

これからもお幸せに……

勝間さんはこうも言っている。

私も同性を好きになる気持ちに蓋をしてきました。自分の中の無意識の規範概念があったと思います。それを超えると、何が起きるのかわからなかった。

人によって強度が違うとはいえ、わたしもこの「内なる規範」が強めだった方なので、少しだけ気持ちがわかる。自分自身のあり方を受け入れることはさぞや大変で、時間がかかることだっただろうなぁ…。お疲れ様でした、と声をかけたくなる。世の中が異性愛前提でできていて、小さい頃からその価値観を浴びせられ続けるから、そうなってしまう。そこを乗り越えて、公表に踏み切ってくれたということが、とても嬉しい。

 

実を言うと、わたしはこれまで勝間和代さんの著書を読んで、彼女のことが苦手だった。これからもきっとそれは変わらない。それはそうだ。性的指向が同じだからって仲良くなれるとは限らない。(まあ、勝間和代さんもわたしも、生きている限り変わり続けるはずで、わたしも苦手と思ってここ数年の著作を読んでいなかったので、これから好きになることもあるかもしれないけど。)

でも、わたしは勝間さんがカミングアウトした勇気を褒め称えるし、彼女の増原裕子さんとのこれからの生活が幸せであることを祈る。同じ同性と人生と共にしていく境遇にいるものとして。

勝間さん、カミングアウトしてくださって、本当にありがとうございました。わたしにとっては、あなたのカミングアウトはとても大きなことでした。これからもどうか、お幸せに。