七転び八起き

ハロプロと観劇と、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活のこと。

LGBTに関わるさまざまな動きと、当事者であるわたしが感じたこと

近頃、LGBTに関する動きが良くも悪くも加速しています。関連するニュースを見かけない日がないくらい。

嬉しい動きとしては、自治体でパートナーシップ制度が次々に開始されていっていることがあります。

中野区ではパートナーシップ宣誓が開始されました。

そして、豊島区でも。

わたしは、長年交際してきた同性のパートナーがいて、パートナーシップと国や自治体の支援のあり方について、ここ数年ずっと考えてきました。

何故二人で一緒に暮らすだけじゃだめなのか。何故法的な保障が必要なのか。わたしたちが苦しめられていた結婚という制度を、強化することになるのではないか。

考えた結果、今は、本当は法律婚ができるようになってほしいけれど、実効性の少ないパートナーシップ制度でもないよりはずっといい、どんどん多くの自治体で導入が増えてほしい、という立場です。(とはいえ、政府に、自治体の取り組みがあるからいいでしょ、とお茶を濁されたくはありませんが。)だから、こういった動きが増えていくことは素直に嬉しいです。

 

そんななか、悲しいニュースもあります。杉田水脈議員による「LGBTは生産性がない」とする寄稿と、新潮45による、その発言を擁護する特集記事です。

杉田議員の記事は読みましたが、今まさに話題になっている新潮45は読まないことにしました。自分自身の心を守るために。このニュースが流れてきた日に、そのタイトルや中身の一部を読んだだけでもとても悲しい気持ちに襲われ、しばらくの間、動けませんでした。やっぱりわたしが生きている間に、LGBTをはじめとするさまざまなマイノリティが普通に不便なく苦しまず、ただ存在できる世界は来ないんじゃないかと思いました。

そんなふうに絶望してしまいそうになっても、それでも暮らしていかなければならない。仕事に行ってご飯食べて家事をして、生きていかなきゃならない。だからわたしはそれを読まないことに決めたんです。

 

でも、スルーしてはいけない、と思いました。だからこの記事にわたしの考えや感じたことを書きます。

 

わたしは、当事者として、自分でも思っていた以上に杉田水脈議員の発言や新潮45にあのような記事が載ったことについて、傷つきました。

LGBTには生産性がない、税金を使ってまで対応するような問題じゃない、性的嗜好の話なんて表立って話すことじゃない、不快だから隠せ……。そんな意見を持つ人がいるということは知っていましたし、そんなの無視すればいい、わかってくれる人も増えてるんだから、と。そう思っていました。

でも、そういう発言を受けることは、やはり悲しい。つらい。だってこれは、わたしのアイデンティティと、わたしの人生の話だから。一連のことは、わたしの人生や生きにくさを、否定することに等しいことです。社会的サポートはしないから、勝手に生きていけば、と言われていることと同じことです。

 

わたしが同性を好きになって一緒に暮らしているのは、「性的嗜好」の話ではありません。「性的指向」の話であり、わたしという人間の根本に関わる話です。

「趣味」で、赤の他人と、10年も付き合っていけるかよ。何年も一緒に暮らして、家を買って、支えあいながら生きていくことなんて、できるかよ。そういう話じゃない。これは、人生の話なんだ…。

わたしの人生を否定しないでほしい。わたしの人生を、恥ずかしいもの、表に出すべきでないものとして、扱わないでほしい。

一緒に人生を過ごしていくひとのことや、自然に生じる感情や考えたことを隠して、ないもののように扱うことは、わたしにはできません。どうかそれを、強制しないでください。

(もちろん、カミングアウトすることや意見や感じたことを正直に話す場所や話す相手は自分を守るために選びますし、全てのひとにカミングアウトを強制するつもりもありませんが。)

 

そして、生きていく上で不便や悲しいことが、たくさんあります。

たとえば、家族OKの賃貸物件に同性同士では住めないこともある。大事なパートナーが怪我をしたり病気をしたりしても、病室に入ることを断られるかもしれない。万一亡くなっても、喪主になれないかもしれない。二人で築いた財産が奪われるかもしれない。長年暮らした、二人の思い出の濃く染み付いた家を追い出されるかもしれない。労災事故でどちらかが亡くなっても遺族年金を受け取ることもできない。いろんな法律の「配偶者」という項目に、「事実婚」の男女のカップルは含まれてもわたしたちは含まれない……。

そういうことを覚悟して、備えなきゃいけないのは、なんで?男女のカップルで、紙切れ一枚でいろんな制度に守られているひとたちと、なんにも変わらないのに。ただ、一緒に生きていきたいだけなのに。

 

かつてフェミニストは「個人的なことは政治的なこと」と言いました。本当にそう思います。これは、ただの個人的な事柄ではありません。家族の理解を得られれば、都度都度、関係者に交渉すれば、いいという問題ではありません。社会の作り方の問題です。だからこそ、政治や行政の中で、考えていっていただく必要があるんです。

 

嬉しい動きも悲しい動きも毎日のようにあるということは、本当に社会が動きつつあるということだと思います。五年前や十年前では、考えられなかったことです。それは嬉しいことでもあります。LGBTの問題が、誰にとっても無視できない問題になってきたということです。だからこそ、いい方向に社会が変わっていってくれることを願います。

 

途中少し感情的になって、乱れた文になってしまいました。でも、これが今のわたしの、正直な気持ちです。(あとでもう少し綺麗にまとめ直すかもしれません)