七転び八起き

ハロプロと観劇と、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活のこと。

考えたこと記録(24日)知らないうちに顔面コンプレックス極まってた自分に驚く

私ほんとうにほんとうに自分の顔が好きになれなくて、ずっと自分で自分のことブスだと思ってきた。ようやく最近、お化粧してる自分は認められるようになってきた。でも、今日、ちょっと色々あって自分のどアップ写真を見ないといけなくなって、めちゃめちゃショックを受けた。あ、私、ほんと無理!ほんとブス!ほんと無理!ってなって回路がショートして、帰ってから泣いた。

 

自分で自分の顔が好きじゃなくなったのは、まあ当たり前に可愛くないからなんだけど、でも自分ブスなんだなっていうことを突きつけられるようなことってこれまでいっぱいあった。

 

私が前髪あげてみたいと言ったら、親が額を出していいのは美人だけと言ったこと。一緒にバイトしてた同い年の子だけが結婚式場のPR写真に選ばれて、わたしには声もかけられなかったこと。ある日会社で、男性社員と上司に、眼鏡外してみてよ!と言われて外してみせた時のあっ🤭という顔を見たとき。(この会社にいた時は本当に最悪で人の容姿と清潔感を異様にジャッジしたがる糞みたいな上司の糞発言を毎日毎日聞かされていた。ある時は、おいちょっとお前明日ベリーショートにしてこい、とか言われたりした。私が無頓着すぎるのももちろんある。それにしても酷かった。)

 

自分がここまで容姿のことを気にしていた、ということ自体もショックだった、その写真を見て狼狽した姿を人に見られたことも恥ずかしいと思った。一気に卑屈な自分が戻ってきて、もうわたしはブスなんだからみんな見ないでほしい、顔写真なんか表に出さないでほしい、美人に生まれたかった写真を撮られることも撮られた自分の姿にも頓着しない存在でいたかった、目立つことなんかしたくないだってブスだから人目に耐えられない存在なんだから、静かにしていたい、こんな顔に生まれたのが恥ずかしい、お化粧頑張ったってそれでもこの程度だしだからといってもっと化粧を頑張るとかそういう問題ではないだって元が悪いんだもの。………そう思ってしまった。

 

写真に撮られるのが嫌で、極力避けていたこともあると思う。自分の真実の姿を見ることに慣れていない。眼鏡をかけているのも、自分を直視できないから。写真に撮られ慣れていないから、いつも表情は不自然で、目は泳ぎ、気にしないように努めるあまり逆に見られたくないところを見せてしまったりもする。自然に写真に撮られて美しくいられる人が羨ましい。わたしもいつ写真を撮られても堂々としていられるように生まれたかった。鏡を見る時、自分の一番マシに見える瞬間で自分を記憶しているんだと思う、きっと。だから写真に撮られた自分はそうじゃないからショックを受けるのかも。

 

うろたえたまま帰宅して、キツネさんに話をしたら、可愛いのに、写真うつりがたまたま悪かっただけだよ、私だってあるよそういうこと、と言われて頭を撫でてくれた。ぼろぼろ泣いた。どうしたら見た目を気にしないでいられるんだろう?自分の容姿からは一生逃れられないのがしんどい。とりあえずまず歯の矯正をしなきゃ。あと自撮りの練習でもしたらいい?写真撮られる時に変な顔で写ってしまわないように。

 

見た目や容姿で人をジャッジするのは間違っていると頭ではわかっている。ルッキズムっていうんでしょうそういうの。私だって他人に対してはそんなことしない。でも自分の顔が好きになれない場合はどうしたらいいの。自分で自分にぶさいくのレッテルを貼ってしまうのはどうしたらいいの。人を羨んでしまう心はどうしたらいいの。

 

狼狽したままだけど、とりあえず忘れないと明日仕事行けないから、忘れて寝ることにしようと思う。おつかれっした。また明日。

 

追伸:このあとキツネさんにめちゃめちゃ説得されてとりあえず毎日自撮りしろと言われました。自分の顔に慣れたいので嫌だけどやってみようかな。

考えたこと記録(23日目)好きなもの、なんだったっけ

 

 

いや、モーニング娘。は大好きなんですけどね。今日もDVDマガジンの予告を見て元気が出ました。ちょっともう推しがかわいすぎるしかっこよすぎる。めまいがするレベル。あとぽんぽんさんは付き合ってる。


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なんか、それ以外の好きだったはずのものや考えていたテーマが、みんな透明な壁の向こうに行ってしまったみたいに現実味がなくて退屈なものに思えてしまっている。たとえばフェミニズムやダイバーシティについて。雇用や働きかたについて。仕事と趣味や、仕事と家庭の関係性について。小説、漫画、アニメ、舞台について。文章を書くことについて。全部今も好きだし興味がある。ほそぼそと情報を摂取している。でも、夢中になる時期はすぎてしまったと感じる。「なんとなくわかる」。でも「積極的に情報を取りに行こうと思えない」。

 

そんな状態のところで今日、そのものずばりな問いを投げかけられて、ちょっと困ってしまった。

 

興味を持って、追いかけて、わからないものがわかるようになって、自分自身が腹落ちしたらそれが6割程度の理解だったとしても、もう関心がどこかに消えていってしまう。多分今、全部がそんな感じ。「ある程度わかった」の先にあるのは別のジャンルにいくか、一個のジャンルを深めるか、どちらかだ。その分かれ道の前で右往左往している。

今は、中途半端な理解だから、好きなもの、深めたいものについて言葉にして自分から発信するのは怖い。情報を摂取して、考えて、言葉にしていくことでまた新たに考えたいテーマが出てくる、というようなことを経験しているけれど、それをやらないからつまらなくなって情報に触れなくなる。そうしているうちに、好きなもの、興味あるものがわからなくなる。悪循環。

ある程度わかって、考えた結果、そういうテーマに絶望しかかっているというのもある。社会はかわらない、私が生きているうちに。そう思ってしまっている。あとは、ここでは私は一番にはなれない、とか。端的に、お金がない、時間がない、とか。もう一歩、踏み出す勇気が持てない。そこまで切実に悩んでいなくて、今が平和だから、というのもあるかも。戦うモチベーションが低い。

 

でも、ほんとうは何か、楽しんで学べて専門家といえるくらいになれるジャンルがどこかひとつ、ほしい。テーマ100本ノックでもやってみたらいいのかな。

 

野心は、かろうじて残っている。向上心も、なくなったわけではない。

 

夢中になれそうなもの、突き抜けられそうなものを、見つけられたらいいな。ハロプロ以外の、できれば仕事に繋がりそうなテーマでも。とりあえず昨日の日記で何かしら時間の使い方を変えたいと書いたので今日は今後仕事で関わりそうなジャンルの本を読みました。こういうの、続けていこう。

考えたこと記録(22日目)三連休終わりに落ち込む

今日で三連休が終わってしまう。夕方くらいから気分が落ち込み始めて、お風呂に入ったりゴロゴロしたりノートを書いたりしているうちに少し落ち着いたけれど、完全に元気というわけではない。三連休、何にもできないで遊んで終わってしまったなと思ったのだ。そして、連休前に「もういいやとりあえず考えない」と置いておいた仕事の課題に直面しなければならないことを思い出してしまったからだ。

 

でも、よくよく考えれば、「連休」なのである。連休は、休みなのだから、休んだっていいのだ。休み中にやりたかったことの中に、いくつか読みたい本があって、それを読むというのがあった。仕事に関連する本もあれば、趣味の本もあった。なんとなく食指が動かず、読み始められなかったり、読み始めてもすぐに眠くなってしまった。別に強制ではないのだから、やらなくたっていいのだ。でも、自分で自分にダメ出しをしてしまっている。

 

……そうだ。昨日みたいに今日できたことを書き出してみよう。そう思って書き出してみた。全く何にもやらなかったわけじゃない。少しはやりたかったことができた。今度は、その時間を少し伸ばしていけたらいい。

 

そういえば最近Twitterをみている時間が随分と減ったと思う。体感値であってデータは見ていないんだけど。一時期SNS依存的になっていた自覚があって、通知がきてないか気になって何かやってても5分おきにスマホ見ちゃう、通知来てたら開きたくてたまらなくなってしまう、みたいな。それから通知切るようにしてみたんだけど、これが結構よくて、Twitterをひらかなくなった。その分フォロワーさんの動向があんまり追えていないのだけど、自分の時間がだいぶ増えた気はしている。そのぶんの時間がどこに消えているのかよくわかんないんだけど(あ、もしかしてゲームと散歩とブログとメルカリかな)、時間は少しはできているはずで、さらに職を変えてから残業というものがほとんど発生していないので、余計に時間はあるはず。まとまった時間本を読む、みたいなのが難しいのであれば、1ページでいいから読む、的なのを平日にも休日にもやれたらいいな。そしてそれがちょっとずつ伸ばせたらいいな。

 

今週はそれ、頑張ってみよう。今日はここまで。またね。

考えたこと記録(21日目)万年筆と、書くこと・書きたいこと

あゆみちゃん色のペリカーノジュニアを購入したので最近何でもいいから何かしら書きたいという意欲がすごい。今日もノートにひたすら今日できたことリストとか今ほしいものリストとかを書いた。今日できたことリストを見返して、昨日遊びまわったので疲れ切ってダウンかと思いきや、今日は思ったよりたくさんのことができたなーと思った。

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万年筆楽しい。あゆみちゃん色のペリカーノ本当にお気に入り。ペリカンはドイツの万年筆メーカーで、ペリカーノジュニアは子供が初めて万年筆を使う時向けのものらしい。だから丸くて持ちやすくてビビッドな色で可愛らしいのか。

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ペリカン 万年筆 A ブルー ペリカーノJr 正規輸入品

ペリカン 万年筆 A ブルー ペリカーノJr 正規輸入品

 

 

万年筆は、数年前キツネさんに名前入りのLAMYをもらってから使うようになった。日記を書くときなんかに使っていたけれど、まだ日常使いするものというイメージはなかった。

 

LAMY ラミー ボールペン 水性 サファリ ホワイト L319WT 正規輸入品

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でもこの前フォロワーさんに会ったとき手帳談義をしていて、そのとき日常使いしている万年筆も一緒に見せてもらってからというもの、急に欲しくなってしまった。

 

ツイスビー 万年筆 ツイスビー エコ ブラック 細字 TW100002

ツイスビー 万年筆 ツイスビー エコ ブラック 細字 TW100002

 

 (↑そのとき見せてもらったのはたしかこれだったんだけど金銭的理由で迷っていた。ペリカノよりはお高め万年筆さん。)

 

それでペリカーノを衝動買いしたのだけど、最初だから安いものを…と思って買ってみて正解だった。めちゃめちゃ気楽に使える。ここしばらく文字を手帳に極細のペンで細かく綺麗に書き込む、みたいなことになんとなくストレスを感じていたので、太い字だけどするする書ける万年筆にはまったのは必然だったようにも思う。強調したいことだけ万年筆で書き、ほかは細いペンで、というのも可愛いということに気づいた。

 

「なんでもいいから書きたい」という字を覚えたての子供みたいなモチベーションで書いているとどうしてもライフログ的になる。本当は、1週間の計画やToDoリストなんかを書きたい。もうちょっと計画的に日々を過ごしたい。なんでそういうことができないんだろうな〜〜〜。数年前までは結構手帳に細かくその日のスケジュールなんかを書き込んで、月と週で目標管理して、ってやってたのにな。月単位とムーンプランナーの1ページの単位ではやるときもあるけど、それが日々の生活にあんまり反映できていない気もする。最近手帳を鞄から取り出すのも億劫。もちろん仕事手帳は仕事のスケジュール管理のためにある程度使っているんだけど理想には程遠い感じ。もうそういう、きちきちした生き方が嫌になってきたのかもしれない。自由になりたい、という気分は確かにここ数年強まっている。

 

でも、勉強したいこともちょっとずつ出てきたし、小説も読みたいし、ぐだぐだだらだらする時間は多少減らしていきたいんだよな。ううーん、「なんでもいいから書きたい」と思ってなんか書くのだけど、ずーっとそう思っているままなんとなく1日がすぎて漸くノートを開くのが22時、みたいな感じだからいかんのかな。朝一でなんか書く、にしてみる?朝弱いんだけどな……うーんでも、そういう習慣ができたら結構美しいし嬉しい気もする。明日やれたらやってみよう。

 

今日はそんな感じの1日でした。おやすみ。またね。

考えたこと記録(20日目)懐かしい場所でビール

今日はさいたま新都心でキツネさんと友人と、「けやきひろばビール祭り」という催し物に行ってきた。美味しかった。私はお酒が本当に弱いのですぐに赤くなったり眠くなってしまって友人に心配されたりもした。でも網走ビール一個全部飲み切れたの、成長だと思う。えへん。

たまたま、すぐ近くでジャズ祭り的なイベントもやっていたので、友人たちと別れた後も今度はコーヒーを買ってきてジャズを聴いて、少し散歩して、最終的にはまたビール祭り会場でご飯を買ってきてジャズを聴きながら食べ、そんな感じで結局1日中さいたま新都心にいた。

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昔、私もキツネさんも関東地方北部に住んでいたので付き合い始める前も付き合い始めてからも、よくここで待ち合わせて映画を見ていた。

今日は昔遊んでいたあたりにも足を伸ばしてショッピングモールを見て回ったりした。少しずつ変わってはいるものの大きくは変化していない。ちょっと懐かしかった。いつも外で手を繋いだりするのを嫌がるキツネさんが、今日は酔っ払っていたこともあってか、なんどか手を繋いでもわりとそのままにしておいてくれた。そういえば付き合いたての頃、手をつなごうとしたり髪を触ろうとしただけでも外でイチャイチャしようとするのはやめろと怒られていた。ニュアンスはちょっと違うものの、なに食べの初期の頃のシロさんみたい。最近はわりとなあなあになっている。そういえばあと数日で、付き合い始めてから丸12年になる。(それにしても毎年私たちは二人とも記念日をちゃんと覚えていない。10年記念の時くらいだよ、ちゃんと覚えていて何かやったの。記念日を覚えている程度が同じくらいの方が長く付き合える気がする。記念日バッチリ覚えていてちゃんとやりたい人はそうしたい人同士くっつくのが不満がなくて良いのだ、きっと。)

 

きのう何食べた? DVD BOX(5枚組)

きのう何食べた? DVD BOX(5枚組)

 
きのう何食べた?(1) (モーニング KC)

きのう何食べた?(1) (モーニング KC)

 

 

帰宅してお風呂に入って鏡をみたら、お腹がぽっこり出ていた。ずーっと何か食べたり飲んだりしていたもんな。恐ろしい。でも、そのお腹をひゅっと引っ込めてみたら、ストレートネック気味の首までなぜかいい感じの位置に戻った。職を変えてからPCがデスクトップからノートに変わったこともあって、首が前に出る姿勢が定着しかけていたのが気になっていたのでちょっと嬉しかった。やっぱり筋トレでお腹を鍛えて、いい姿勢を維持できるように頑張ろう。ここ二日くらいちょっとサボっていたし。

 

今日はそんな日でした。またね。

考えたこと記録(19日目)二人同時に死ねたらいいのに

「考えたこと記録」をつけているといかに日々ちゃんと考え事をしていないかがよくわかる。時々考え込むことはあるものの、基本的には刹那的かつ作業的に生きている。今日は思い出そうとしてもあんまり考えたことが思いつかなかったのでお題を活用したい。

 

今週のお題「理想の老後」

 

理想の老後と聞いて思い浮かぶ作品がある。中山可穂さんの「花伽藍」に収録された「驟雨」という作品。

 

花伽藍 (角川文庫)

花伽藍 (角川文庫)

 

 

驟雨は、ある家で人を拒絶するようにして住んでいる二人の老女の話。二人は若い頃、学校の先生と、その学校に子供を通わせている母親の関係だった。大恋愛の末、一緒に暮らすようになり、年老いても一緒にいる。片方はすでに認知症の症状がかなり進行している。経緯は省くが、その二人の亡くなり方が本当に印象的なのだ。介護をしていた方が心臓発作で突然死し、亡くなる瞬間に倒れ込んだ体の下敷きになって、寝たきり状態の認知症の方が亡くなってしまう。倒れ込んだ体に喉を圧迫されて息ができなくなってしまったのだ。一見悲劇に見えるが、後から死んで行く方はとても満足しながら死んで行く様子が描かれる。

 

私はそういう老後とそういう死に方が、とても羨ましい。二人でちょっと田舎の一軒家で暮らして、ヘルパーさんに来てもらったりしながらお互いの面倒を見て、最後までお互いのことを想いながら一緒に暮らして、どちらか片方が死んだ瞬間に一緒に死ねたらすごくいい。過程はもちろん、いろんなしんどいことがあるだろうけれど。それでも、できる限り一緒に。

 

時折キツネさんは、戯れに「私がいなくなっちゃったらどうする?」とか「私より年下なんだから私より1日でもいいから長生きしてね」と言ってくる。私は何回そういう話をされても毎回泣く。ぜったいやだ。一緒に死ぬか、私の方が先に死にたい。キツネさんのいない人生なんて考えられない。

 

女同士のカップルである私たちは、そんな理想の死に至るためにハードルが多い。どちらかが介護状態になった時や病気をした時の、手続き上、説明上の面倒臭さを想像すると今から憂鬱で不安な気持ちになる。だから同性婚ができるようになってほしい。一緒に住み続けてお互いに関する意思決定ができるという状態を維持し続けたいから。この理想の老後と理想の死が迎えられなかった時……、例えばどちらかが先に死んでしまった時。同性婚がなかったら更に事態は複雑になり、残された方が家や財産を失う危険性だってある。そんなのは嫌だ。そもそも、一緒に死にたいと望んでしまうこと自体、私がキツネさんのことを好きすぎるということ以外に、同性カップルの孤立を表していると感じる。どちらかが死んだ時、安心して生活できるイメージがわかないのだ。

 

せめて、「一緒のタイミングで死ぬ」手前の「一緒に満足のいく老後を過ごす」ところくらいは、実現できるような世の中になってほしい。

 

余談だが私は中山可穂作品は基本的にあまり好きではない。ステレオタイプな、わかりやすいレズビアンとバイセクシュアルばっかり出てくるから。ジェンダー感も新しさを感じないし悲恋ものが多いのも好きではない理由。真面目なレズビアン小説でいいものが他にあんまりないから読んでいる。(百合小説、ではなく、レズビアン小説。)それでも、時々こういう考えさせられて心に深く残るものがあるから、ずっと捨てられないで本棚に残っている。

……と、言いながら読み返して、驟雨と一緒に収録されている、偽アマントと七夕も結構好きだなと思ったりもした。よかったら一度読んでみてほしい。

 

花伽藍 (角川文庫)

花伽藍 (角川文庫)

 

 

私がほかに好きなレズビアン小説は、松浦理英子さんの作品と、シガレット・ヴァルキリーです。あ、シガレット・ヴァルキリーはどっちかというと「百合」かも?私の中で、百合かビアン小説かの境目ってだいぶ曖昧でグラデーションになっているのだけど、いつか言語化してみたい。

 

ナチュラル・ウーマン (河出文庫)

ナチュラル・ウーマン (河出文庫)

 
シガレット・ヴァルキリー (徳間デュアル文庫)

シガレット・ヴァルキリー (徳間デュアル文庫)

 

 

これも余談の余談なのだけど、「百合」は数多ある一方で「レズビアン小説」って少ないなと思っていて、大学生くらいの頃に「もう私が書くしかない」と思ったことがあった。その想いが今も捨てられずにいる。少しずつ書いて入るけれど下手くそだし年々つまらなくなっていると思う。でも、せっかく文章講座に行ったりもしているのだから、同人誌とかWEBとかで細々とでもいいから続けていけたらいいなと思っている。

 

考えたこと記録(18日目)慢性病が性格に与える影響

だいぶ回復したけれど頭痛がなかなか良くならない。

 

前にも同じこと書いた気がするけどまあいっか、と思いつつ書く。私は小さい頃からアトピーと偏頭痛を持っていた。その二つと、天然パーマであったことが性格に影響を及ぼしていると思う。これらがなかったらもっと明るい性格になったんじゃないかな。

 

アトピーで顔全体が爛れる、というようなことは全くなかったのだけど、常に服の下でどこかしらはむず痒く、血が出たりして、一年中皮膚科に通っていた。ステロイドの使いすぎで皮膚の一部が黒ずんでしまっている。今は気にしていないけど、やっぱり高校生くらいの頃は気になった。隠そうとするのと逆の力が働き、私は綺麗じゃない、だから別にいいんだ、という変な開き直りに繋がった。おしゃれをするモチベーションが人より少なくなる一つの要因になった。

 

偏頭痛は、最初はこの現象がよくわからず、うまく伝えられなくて、肩こりから来る頭痛(緊張性頭痛)と診断されていた。頭痛の前に目の前にきらきらした輪っかのようなものが現れてぐるぐる回る現象のことを閃輝暗点というらしい。これは偏頭痛に特有のことで他の頭痛にはないらしい。年に一度くらい、この不思議なきらきらが現れて、頭が割れそうに痛くなり、動けなくなったり吐いたりする。そこまで酷くならなくても、市販薬が全く効かなくてただ暗い部屋で横たわっているしかない時もある。

 

そういう頭痛のことを偏頭痛というのだと大人になってから知った。普通の頭痛と偏頭痛ってお薬が違うらしい。目の前にきらきらしたものが出るなんて、私の勘違いかもしれないし、と思ってずっと言えなかった。頭痛持ちじゃない人からはただの頭痛でしょ、大げさな、みたいに思われているのが伝わってきていたから余計に。この経験がずっと続いていたから、体調不良を我慢する癖がついてしまった気がする。

 

ちなみに偏頭痛が偏頭痛とわからなくて対処できずつらい思いをした期間が長かったので、三日間寝込んだ後『頭痛?大丈夫?肩ぐるぐるしな!肩こりから来るやつでしょ〜つらいよね〜わかる』と言われた時は激おこだったし今でも思い出すと腹が立つ。わかるわけあるか!こっちはまじこの3日間死にかけたし暗い部屋から出られなくて吸血鬼のような生活してたんだぞ!肩をほぐして楽になるなら苦労せんわ!と思った。このブログを見かけた皆さんは頭痛持ちの人に不用意な発言をしないように気をつけましょう。その人の痛みはその人にしかわかりません。頭痛持ちでアトピーでよかったことってもしかしたらそれかも。人の痛みはその人にしかわからないと思えたから、辛そうな人は勝手に類推せずにとにかく休ませるとか、気を配るようになれた。

 

そんなわけで今日もめちゃくちゃ頭痛かったのに仕事休むわけにいかない日で、一般的頭痛薬が全く効かなくて困った。幸い吐き気は我慢できるくらいだったのでなんとか仕事できたけどしんどい日だった。本当はこうやってスマホの光を浴びるのも良くないんだけど(光が刺激になるから)ブログなるべく毎日やるって決めたから意地で書いている。

慢性病って嫌だね。とはいえ多分一生付き合っていかなければならないんだろうな。いい影響も悪い影響もあるけれど、しょーがないよね。いろんな病の人がいるけれど、きっとみんなそれなりに影響を受けて性格がちょっと暗くなったり、攻撃的になったり、大人しくなったり、逆に優しくなったり諦観でさっぱりしていたり、するんだろうな。心と体は繋がってる。

考えたこと記録(17日目)びっくりするほど酷い日とハロプロと自虐について

 

驚くほど酷い日だった。

 

まず朝、昼ごはんのパンを近所で買ってから仕事に向かおうとした。財布を忘れていたことにレジで気づいて家に一度戻った。会社に着くとストッキングの親指部分に派手に穴があいていた。気合い入れて取り組んでいた案件が不意になくなった。客先で道に迷い蒸し暑い中歩き汗だくになった。と、思ったら、夕立に降られて靴の中もズボンもビチョビチョになった。もう疲れたから帰ろうと思ったタイミングで急ぎの対応のメールに気づいてしまった。電車を途中で降りて対応する。帰宅後も対応する。

 

本当に本当に、しんどい一日だった。

 

疲れすぎてぼんやりとTwitterを眺めていたら、自虐に関する記事が流れてきて、よくよく見たらもともと好きだったつづ井さんの記事だった。少しそれについて考えたかったのだけど、考えるほどの脳のキャパが残っていなかった。最高!とだけ思った。最高だからみんな読んで。

裸一貫!  つづ井さん 1

裸一貫! つづ井さん 1

 
腐女子のつづ井さん (コミックエッセイ)

腐女子のつづ井さん (コミックエッセイ)

 

そういえば私もキツネさんも全く自虐はしない。私は単にプライドが高いのだ。自虐はしないけど自己否定はする。この二つは多分大きく違うのだけど今日は脳が回らないのでこれ以上考えるのはやめておく。そしてキツネさんは、『私の場合は家族に愛されて大切にされて育ってきているからかな』と言っていた。感覚的にはわかる。でもどういうことかちょっと考えてみたい、と思ったけどこれも深く考えるのはやめよう、今日は。疲れた。

 

こういう日はハロプロに限る。脳が疲れている時こそハロプロ。そう思って最近溜めていたハロステとアプカミを見まくりました。幸せタイムだった。可愛い子たちは正義。

 

今週のは全部よかった。びよちゃんアルバムおめでと!って思った。くるみちゃんのお料理豆知識とそれに対するくろっきさんの反応可愛い。そしてつばきファクトリーのコンサート衣装が最高すぎてたまらんかった。さおりんパンツスタイル珍しいけど腰が細くて素晴らしく良い。ていうか全員素晴らしく似合ってる。全員の体の特徴や個性を強める衣装だと思います。コンサート行きたい。

るっちゃんとかわむのふわふわした二人が司会してる回は最高に癒された。ずっと見ていたい。カンガちゃんは本当に最高。完成されている。

 

ずっとこのパターンを繰り返している。脳が疲れすぎて何にもしたくなくなったらとりあえずハロプロ見る、という。ハロプロがないと生きていけない体になってしまった。

 

今日は考えたこと日記というほど考えてないな。全部途中で放棄しておる。ってまあいつものことか。バカなこと言ってないでもう寝よう。おやすみなさい。またね。

考えたこと記録(16日目)イライラとパフェ

今日は夜にパフェを食べた。下から、コーンフレーク、コーヒーゼリー、美味しいスポンジとちょっとのバナナ果肉、白と茶のアイスが両端に乗り、その間に生クリーム。さらにバナナの輪切りやらチョコやらいろんなものが刺さっている。ついでにお子様ランチみたいな旗も刺さっている。そういうやつ。

 

最近キツネさんと私の帰宅時間はほぼ同時なのだけど、帰宅してすぐ「あーイライラする!なんかご褒美必要!」「わかる!甘いものを欲している!」と口々に言い合った。なにしろ昨日の夜は台風で、風と雨の音がすごいばかりか、細くて縦に長い我が家の寝室はゆらゆらと揺れた。一応言っておくが築浅だ。それでも揺れた。私は家の最上階部分だけが壊れて落ちる夢を見て飛び起き、それが三時だった。ほぼ同時にキツネさんも起きていた。眠れない。その上ゆらゆらするベッドに体が緊張していたせいか変に背中が痛い。この痛みは今日の夜になっても取れなかった。そんな睡眠不足と体の痛みと、時差出勤したにも関わらずめちゃくちゃ混んでいた電車と、その他仕事の関係のあれこれが原因となって、イライラと気鬱が帰宅する頃には頂点に達していた。

 

美味しいけれどまあまあお高いパフェを、最初は半分こする計画だったのに結局一人一個ずつ違う味のものを頼んで食べた。少し気持ちが紛れ、甘いもので腹が満たされると眠くなった。だるい体をひきずって帰宅し、風呂に入り、少し家事をして、今に到る。もう絶対、今夜は、ちゃんと寝るんだ。パフェの写真を見ながら、少しいい気持ちになって。

 

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考えたこと記録(15日目)過去を羨む

今日はもうなんにもしたくなくってずっと家にいた。昨日まで動きすぎていた反動だと思う。

月の文学館と星の文学館を読み進めている。どちらの本も、収録された作品はすべてたったの4ページから5ページなのに心に残るような物語がいくつもあってすごいと思う。

月の文学館 (ちくま文庫)

月の文学館 (ちくま文庫)

 
星の文学館 (ちくま文庫)

星の文学館 (ちくま文庫)

 

 

特に好きなのは月の文学館の方に入っている「月とコンパクト」。電車でたまたま乗り合わせた女性が、座席に髪にさしていた花を残して飛び降り自殺をしてしまう。その人が恋人に送ったコンパクトに月が映る、という話。すごく耽美。そして、「電車でたまたま乗り合わせた人」視点であって、恋人視点でないというところがまたいい。

どんな人が書いているのかと作者を調べたら馴染みのある土地に住んでいた人だった。34歳で他界している。今の自分の年齢とほとんど変わらない。自分と比較して、少し落ち込む。

 

きっと今の34歳よりその頃の34歳のほうがずっと老成していただろう。人生の速度が今よりずっと早かった時代だ。

スマートフォンのない時代に、そしてインターネットのない時代に生まれていたらどうだっただろうと思う。もっと書籍にも文章を書くことにも一心に耽溺できたのではないか。人生や自分自身について思索したり妄想にふけったりする時間がもっとあったのではないか。

今の私は周りを見回して観察している余裕もない。いつも生活のことに追われ道を歩いていても向こう側から歩いてくる人や景色をほとんど見ていない。目は見ていても、脳が見ていない。いつも何かに追われていて、余裕がなく、誘惑も多く、本当にやりたいことに向かうことができていない……。

 

いいや、でもきっと、生まれた時代は関係ない。その頃に生まれていたら、きっと貧しかったり学がなかったりして、思索にふける余裕なんてとてもなかっただろう。私の実家は地方の農家なので女に生まれたらきっと学校に行かせてもらえず家業を手伝うことになったと思う。

結局のところ、自分の心がけ次第なのだ。SNSやめればいいじゃん、ゲームもやらなければいいじゃん、早起きすればいいじゃん、できないならその夢諦めたら?という話で。最終的に自分の弱さを突きつけられたようでしんどい。でも、私にはとてもできないと羨みながら指を咥えて見ているだけで本当にいいのか、とも思う。なにごとも、ちょっとやってみただけでわかった気になって、「これはこうだから」とか「私には才能がないから」とかって言い訳している暇があったら何か一個、夢中になってやってみろよ、という話なのかも。(と、心を入れ替えてできるようになったら苦労しないんだけどね。)

 

好きな作品の話をしていたはずなのになぜか最終的に恥ずかしい自意識をさらけ出してしまった。今日はもう寝る。おやすみなさい。またね。