七転び八起き

ハロプロと観劇と、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活のこと。

考えたこと記録(19日目)二人同時に死ねたらいいのに

「考えたこと記録」をつけているといかに日々ちゃんと考え事をしていないかがよくわかる。時々考え込むことはあるものの、基本的には刹那的かつ作業的に生きている。今日は思い出そうとしてもあんまり考えたことが思いつかなかったのでお題を活用したい。

 

今週のお題「理想の老後」

 

理想の老後と聞いて思い浮かぶ作品がある。中山可穂さんの「花伽藍」に収録された「驟雨」という作品。

 

花伽藍 (角川文庫)

花伽藍 (角川文庫)

 

 

驟雨は、ある家で人を拒絶するようにして住んでいる二人の老女の話。二人は若い頃、学校の先生と、その学校に子供を通わせている母親の関係だった。大恋愛の末、一緒に暮らすようになり、年老いても一緒にいる。片方はすでに認知症の症状がかなり進行している。経緯は省くが、その二人の亡くなり方が本当に印象的なのだ。介護をしていた方が心臓発作で突然死し、亡くなる瞬間に倒れ込んだ体の下敷きになって、寝たきり状態の認知症の方が亡くなってしまう。倒れ込んだ体に喉を圧迫されて息ができなくなってしまったのだ。一見悲劇に見えるが、後から死んで行く方はとても満足しながら死んで行く様子が描かれる。

 

私はそういう老後とそういう死に方が、とても羨ましい。二人でちょっと田舎の一軒家で暮らして、ヘルパーさんに来てもらったりしながらお互いの面倒を見て、最後までお互いのことを想いながら一緒に暮らして、どちらか片方が死んだ瞬間に一緒に死ねたらすごくいい。過程はもちろん、いろんなしんどいことがあるだろうけれど。それでも、できる限り一緒に。

 

時折キツネさんは、戯れに「私がいなくなっちゃったらどうする?」とか「私より年下なんだから私より1日でもいいから長生きしてね」と言ってくる。私は何回そういう話をされても毎回泣く。ぜったいやだ。一緒に死ぬか、私の方が先に死にたい。キツネさんのいない人生なんて考えられない。

 

女同士のカップルである私たちは、そんな理想の死に至るためにハードルが多い。どちらかが介護状態になった時や病気をした時の、手続き上、説明上の面倒臭さを想像すると今から憂鬱で不安な気持ちになる。だから同性婚ができるようになってほしい。一緒に住み続けてお互いに関する意思決定ができるという状態を維持し続けたいから。この理想の老後と理想の死が迎えられなかった時……、例えばどちらかが先に死んでしまった時。同性婚がなかったら更に事態は複雑になり、残された方が家や財産を失う危険性だってある。そんなのは嫌だ。そもそも、一緒に死にたいと望んでしまうこと自体、私がキツネさんのことを好きすぎるということ以外に、同性カップルの孤立を表していると感じる。どちらかが死んだ時、安心して生活できるイメージがわかないのだ。

 

せめて、「一緒のタイミングで死ぬ」手前の「一緒に満足のいく老後を過ごす」ところくらいは、実現できるような世の中になってほしい。

 

余談だが私は中山可穂作品は基本的にあまり好きではない。ステレオタイプな、わかりやすいレズビアンとバイセクシュアルばっかり出てくるから。ジェンダー感も新しさを感じないし悲恋ものが多いのも好きではない理由。真面目なレズビアン小説でいいものが他にあんまりないから読んでいる。(百合小説、ではなく、レズビアン小説。)それでも、時々こういう考えさせられて心に深く残るものがあるから、ずっと捨てられないで本棚に残っている。

……と、言いながら読み返して、驟雨と一緒に収録されている、偽アマントと七夕も結構好きだなと思ったりもした。よかったら一度読んでみてほしい。

 

花伽藍 (角川文庫)

花伽藍 (角川文庫)

 

 

私がほかに好きなレズビアン小説は、松浦理英子さんの作品と、シガレット・ヴァルキリーです。あ、シガレット・ヴァルキリーはどっちかというと「百合」かも?私の中で、百合かビアン小説かの境目ってだいぶ曖昧でグラデーションになっているのだけど、いつか言語化してみたい。

 

ナチュラル・ウーマン (河出文庫)

ナチュラル・ウーマン (河出文庫)

 
シガレット・ヴァルキリー (徳間デュアル文庫)

シガレット・ヴァルキリー (徳間デュアル文庫)

 

 

これも余談の余談なのだけど、「百合」は数多ある一方で「レズビアン小説」って少ないなと思っていて、大学生くらいの頃に「もう私が書くしかない」と思ったことがあった。その想いが今も捨てられずにいる。少しずつ書いて入るけれど下手くそだし年々つまらなくなっていると思う。でも、せっかく文章講座に行ったりもしているのだから、同人誌とかWEBとかで細々とでもいいから続けていけたらいいなと思っている。